桂米朝対談集「一芸一話」

1991年出版の同名本続編で一年祭に合わせて出版された。夢路いとし・喜味こいし(漫才師)、朝比奈隆(指揮者)、小沢昭一(俳優、タレント)、菊原初子(地歌箏曲演奏家)、小松左京(作家)、阪口純久(南地大和屋四代目)、島倉千代子(歌手)、高田好胤(薬師寺管長)、吉村雄輝(上方舞吉村流四世家元)、橘右近(落語家、橘流寄席文字家元、書家)、立川談志(落語家)、茂山千之丞(大蔵流狂言師)と多士済々な名前が並ぶ。いずれも米朝師匠が親しくされていた方々である。
いとこい先生や菊原さんのやさしい大阪弁はどこへいってしまったのか。
対談夫々に興味深い内容があるのだが、ここではお二人の内容を紹介しよう。
南地大和屋の阪口さんによると芸妓・舞子の教育から発展して歌劇を披露するようになり、それが小林一三の目にとまって宝塚歌劇に繋がったという。
また、千之丞師の話しでは京都では昔から狂言を習う方や家が多かったらしい。謡いを習い、より陽気な狂言に鞍替えする旦那衆がおられたそうだ。茂山家はそんな旦那衆や習いに来る方によって支えられていたのである。京都の奥深さを垣間見た気がした。
尖っている談志師匠と古い船場言葉が美しい地歌箏曲演奏家菊原初子さんとの対談などは何度も読み直すことだろう。
しかし、対談相手の12人全てが鬼籍に入られているのが寂しい。



※南地(なんち)は、大阪府大阪市中央区の花街。宗右衛門町、九郎衛門町、櫓町、坂町、難波新地で構成され、これらを総称して南地五花街(なんちごかがい)と呼ばれていた。大和屋は戦後の南地の文化を担ったお茶屋であったが2003年閉店。店内には能舞台もあり、司馬遼太郎ら多くの文化人に愛された。



米朝置土産 一芸一談

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