宮田昭著「炭鉱の絵師 山本作兵衛」


明治大正昭和の世をヤマの男として生きてきた山本作兵衛が何故にあの様な記録画を描き続けたのか。
生前何度も会っている筆者が彼の人生を炭鉱の如く掘り進む。
夢だった鉄工所経営は長男の戦死で叶わず、炭鉱の警備の傍ら、子や孫に本当のヤマの姿を伝えようと筆をとったのだった。
明治の富国強兵を支え黒いダイヤモンドといわれた石炭がここまで姿を消すとは絵を描き始めた時、彼も思わなかった事だろう。しかもそれが死後に世界記憶遺産にまでなるとも思っていなかっただろう。
(世界記憶遺産選定にあたっての裏話も書かれているが、男女による坑内作業は昔イギリスや他国でも同様におこなわれており、共通する内容があるので選ばれたらしい。どの国でも昔の炭鉱は過酷だったのだ。)
それにしてもよく飲む人であったらしい。年老いてからも一升酒なんだから恐れ入る。それで92歳の長寿を全うしたのだから、彼にとって「酒は百薬の長」だったのだろう。
一度、作品展を見に行きたいものである。


炭坑の絵師 山本作兵衛

炭坑の絵師 山本作兵衛