浪曲、三味線の座@カメリアプラザ和室

浪曲の三味線の基礎を語って後に、豊子師匠の浪曲人生に斬り込んで行く。


洋楽で育った我々には邦楽は距離があり、一度聴いただけではなかなか覚え憎く、むずかしいものだ。それでも浪曲の調子は全て「三下がり」で、撥は胴と平行に使うとか、「弾く」だけでなく糸を「擦る」、胴を「叩く」のだと細かく教えてもらえば理解しやすい。


沢村豊子師匠が11歳で入門した佃雪舟師匠から国友忠師匠へと師事し覚えてきた手の数々。具体的に奈々福さんが唸りながら豊子師匠の三味線を聴き続ける至福の授業であった。

「関東節」は高く(特に男性の関東節が高い)、「関西節」は低く、更に雲右衛門がよく使ったより低い「水調子」があると聴きながらその実例を示してもらえるのだが、豊子師匠はところどころで脱線していき、それはそれで愉快で面白いのだが、それをピッシッと一言で修正していく奈々福さんの見事さにも痺れるのですよ、いやあ今まで艱難辛苦乗り越えてきたいいコンビだ!!



豊子師匠が御礼奉公年含めて6年間お世話になった佃雪舟の一座を離れて次についた国友忠先生は赤坂に天狗連(素人)相手の浪曲教室を開いていて、そこで天狗連200名の三味線を次々に弾いてたくさんの手を覚えたのだそうだ。皆さん色んな浪曲師のネタを持ってくるからレコードで聴いては練習してと大変だったと語られる豊子師匠は昔を懐かしみ楽しそうだった。

その後、ここがキッカケでここがここが浮かれるアイノコ節などと教えてもらってから、「甚五郎旅日記 掛川宿」を三味線に重きを置きながら堪能!


ホンの少しだが浪曲の三味線について詳しくなったような気がする。