文楽カフェ 鶴澤清志郎見参!

今宵は第14回文楽カフェin神保町文化産業信用組合本店でゲストは三味線弾きの鶴澤清志郎さん。


今でも人形浄瑠璃が盛んな長野県、南信の飯田で生まれ育ち中学生から学校のクラブで人形を遣い、高校では地元の「今田人形座」に入り足遣いとのめり込むうちに文楽の存在を知り研修生になる。


清志郎さんは今田人形座の時に飯田に来られた住太夫・燕三の両師匠の床で2年連続で足を遣い、飯田での文楽公演の際には文雀師に「来い来い」と言われ、先代玉男師にも目をかけられていたそうです。

だから文雀師や玉男師は当然人形に来ると思ってたし、小学生の頃はお祖母さんの影響で詩吟をやっていて喉が鍛えられていたので旧知でもある住太夫師からも太夫におでと言われていた。実際に一番苦手だったのが三味線で夜遅くまで(時には午前1時までも)研修室で練習し、すごい奴がおると噂になった程であった。


しかし、周囲は当然人形遣いになると思っていたが、研修生2年目で道を決める時に一番伸び代があり、これから出来た時の喜びを感じられるのは三味線だと、この道を選び鶴澤清治師の弟子となり、現在に至る。


文雀師同様、人形に来なくて残念がった玉男師の話がいい。

ある時、仮名手本忠臣蔵「城明け渡しの段」で先代玉男師の遣う由良助の一挙手一投足に合わせて音を選択し、上の御簾内から三味線を弾いた。その後の廊下で先代玉男師から「お前三味線になってよかったな」と言われる。

「そうですか」

「うん、そう思う」


今夜は三味線もたっぷり聴かせてもらい、

「最近若い観客からは『狂犬』というあだ名を付けられているそうでうれしい」と語り、「太夫とは客として見るなら一番面白い格闘技のつもりでやり、太夫と滑らかにやりあう世界を目指していない。」とキッパリと語られた。

「今日は笑顔をお見せしましたが、僕の笑顔は今日が最後です」と拍手のなか退席されたのだった。


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