旭堂南湖の講談教室


今日は誘われて旭堂南湖先生の講談教室で池田満寿美町へ。
My張り扇を手作りし、張り扇の使い方と講談「三方ヶ原」修羅場の冒頭を習いました。
実は「巻き込まれ型」(自主的ではなく「彼はお彼岸やから池田にいるよ」と主催者に友人が言った事を発端として)の参加でしたが、来る前に想像していたより数段いやもっと楽しかったですよ。巻き込まれて感謝!




参加者は滋賀で江州音頭やってる方から十三で浪曲の会主催されてる方、文楽好きの親子と様々。一番多かったのは石橋の和食巧房「ちりとてちん」の常連のあんな人こんな人。(私も月1常連です)
それは主催者が常連やからね。その中で講談聴くだけやと思てた人が約2名。

まずは、張り扇を作ります。
1 色紙を細長い台形状に切り二重に貼り竹ヒゴを貼る。
2 新聞で5重に巻き、最後に和紙、今回は宇和島の分厚い和紙を巻く。
3 和紙(宇和島の分厚い和紙)をノリつけながらぐるぐると巻き付ける。
4 和紙の残りで名前などを上部に貼付ける。

大事な事は釈台を叩く側の下にはノリを塗らないこと。


上方落語の張り扇など皮と聞いていたが、講談は皮の人もいた様だが昔から和紙が主流だったようです。先先代の南陵先生も和紙だったし、大阪では張り扇でなく小拍子木を使用していたとも聞きました。江戸時代の「守貞漫稿」に張り扇は皮との記載があり、そこから皮が主流と勘違いされたようです。

張り扇が完成したら叩く稽古です。1回、2回、これはパンパンッと2回叩くのとパパンッと短く叩く2種類あります。3回、5回ときて最後は8回、これが少し難しいんだなあ。左手で机を叩いて、右手で張り扇を叩くを3回繰り返して、張り扇をパンパンッと2回なんです。こんな稽古も楽しかったなあ。


さて次いで「三方ケ原」冒頭を習います。見にくいかと思いますが丸数字が張り扇を叩く数・・・

1回パンッ そもそも三方ケ原の戦いは 1回パンッ 頃は元亀三年壬申歳(みずのえさるどし)十月十四日甲陽の武田大僧正信玄甲府において 2回パンパンッ 七重のならしを整えその勢三万余騎を従え甲州八ツ花形を雷発なし 1回パンッ

この張り扇を叩く時だけ呼吸していいのですが、本当は「頃は元亀三年」から「雷発なし」まで読み通すのだから大変です。そんな感じで一人ずつ読んで直してもらいながら読み進めました。
これが思いのほか面白いのです。まあ、自分が語り芸好きというのがありますけどね。いや、楽しかった、パパンパンパンッ!!

それと、講談の「修羅場」、東京では「ひらば」と読みますが、大阪ではそのまま「しゅらば」と読むのでちょっと驚きました。南湖先生に訊いてみると、東京ではサ行が発音し難かったからでしょうとの事。成る程!と膝を打ちました。

また機会があれば参加したいですね。

追記:ある方に伺ったところ、江戸っ子の「し」の音は「し」と「ひ」の間なんだそうです。それで「ひらば」になったのだろうと。「ひらば」は講談世界のテクニカルタームとなっているのですね。