修学旅行 奈良編

横浜に住む双子の甥が小学校の卒業旅行よろしく二人だけで「青春18切符」を利用して大阪にやってきました。
「どこへ行きたいの?」と聞いたところ・・・
法隆寺東大寺金閣寺」と「日本の世界遺産を3つ答えなさい」という質問の回答のような返事がありました。う〜む、それぞれ離れているよなあ・・・
そこで、まずこの日曜日には東大寺をたずねて奈良の親戚宅に泊まり、明日は金閣寺等を見学することとしました。考えてみたら、こりゃ修学旅行のコースのようですよね。(苦笑)

大阪池田の実家より歩いて阪急石橋駅に出ました。途中、大阪より有馬温泉へとつながっている有馬街道をとおり、その近くの二子塚古墳を覗いてみました。


左上が有馬道―今は途切れ途切れにしか残っていないが、ここを太閤秀吉も通ったという。右上は道標 昔はここに蔵が建っており、その板塀を背にして右端の「右大坂」の道標のみがあった。左下は二子塚古墳 形は双円墳という朝鮮半島系の形である。二つの頂にそれぞれ石室を有している。 右下はその一方の石室

二子塚古墳に双子を連れて訪れるというのもなかなか面白い。(ただ、通常はこの古墳の敷地内には入ることが出来ないそうだが、この日はテッペンにある稲荷社のお祭りとかで入口が開いていました。石室をのぞいている時に、何か御用ですか、と声を掛けられた時には飛び上がる程驚きました。)


法隆寺を遠目にでも見せてあげようと、大阪からJR大和路快速で奈良に向いました。




車窓から法隆寺は見えましたが、やはり撮影はむずかしく、上の写真でも右端にかすかに亡霊の如き法隆寺が写っていますが・・・わかります?


JR奈良駅を降りて猿沢池へと出ました。まだ寒いこともあってかいつもはワンサカといる亀がほんの数匹しかいませんでした。
興福寺五重塔が映り込んでいるのは素敵ですよね。
猿沢の池から興福寺境内に入ると、もう鹿がわんさかといてシカ煎餅を奪い合っていました。



興福寺境内から奈良国立博物館の敷地を抜けて近鉄奈良駅から伸びる大通りに出ると、道路の向こう側が華やいで見えました。氷室神社境内の桜が一足早く満開になっていたのです。今回の「修学旅行」では桜は少し早すぎるな、と思っていたのですが、これからが楽しみになりました。今日の奈良と明日の京都でどれだけ多くの桜花と出会えることでしょうか。



氷室神社を出てしばらく行ってから左折すると、南大門が見えてきます。東大寺の多くの建築物の中で最も魅力的な建築こそ、この東大寺でしょう。鎌倉時代を代表する建築であり、中国の宋様式を今に伝える世界で唯一のものであります。この豪壮にして、優雅なメロディを奏でるような木組みの素晴らしさ!!
この南大門を見て、鎌倉時代の大仏殿が残っていたらどんなに素晴らしいだろうと思わずにはいられません。同時に三月堂では創建当時の姿を思言うかべる訳ですが、そのように重い浮かべるヨスガが残っているだけでも私たちは幸せなのではないでしょうか。
平安末期には平重衡(しげひら)に火をかけられて東大寺境内はほぼ全焼、焼け残り、今に残るのは三月堂と転害門のみ!! 戦国時代には奈良を納めていた松永弾正久秀に焼き払われて、またしても大仏殿をはじめとして多くの建物が炎上してしまいました。大仏殿が炎上したのに、南大門が焼けなかったというのは一種の奇跡と言えるのではないでしょうか。



それに引き換え、大仏殿は大きいだけ、(まあそれも凄い事ですが・・・)世界最大の木造建造物という値打ちのみです。こう胸躍るものがないんですよね。大きな塗り壁のような感じでしょうか。
ただ、この中門を入ってからの回廊の中の空間というのはそれなりに凄いものです。以前に訪問した際、どこかの兄ちゃんが、「成る程ねえ、でもタージマハルの方には負けるよね」なんてことを彼女に話しているのを聞いて、頭にきたことがありました。

「タージマハルとくらべんな!!」



中に鎮座される大仏様も無念であろう。ただ、こののっぺりとした顔はどうだろう。この顔も江戸時代につくられたものです。この東大寺華厳宗の本山ですが、華厳宗というのは一種の存在論のようなもので、「AがBを見るからBは存在している」というようなお経だそうです。この大仏はその華厳経の表す宇宙を具現化したものです。のっぺりした宇宙ですな。

松尾芭蕉が奈良を旅したころにはまだこの大仏殿は出来ておらず、鎌倉の大仏と同様、青空の下に座っておられたとのことです。




大仏様の後方の柱には小さな穴が開いています。昔から大仏様の鼻の穴と同じ大きさだと言われていて多くの子供達がくぐってきました。私も子供の頃にくぐったハズです。




大仏殿から、裏手の講堂跡に回ろうかとも思ったのですが、大仏殿横手の道から二月堂・三月堂へと登っていきました。まずは鐘楼です。どうですこのピンと甍を張った姿は!!
日本的ではなく、韓国の建築のようですよね。



この鐘楼は臨済宗の開祖栄西禅師が再建したもので、禅宗様式の建築と言われています。NHK大晦日の「ゆく年くる年」でこの梵鐘を鳴らすシーンがよく出てきますが、この鐘自体も国宝で、なんと奈良時代の創建当時のものだそうですよ!!






(この鐘の下に甥達がいます)


さあ、どんどんと登っていきますよ。鐘楼から三月堂に向かう石段の道は風情があって、昔から絵画や写真で何度となく紹介されています。




これが三月堂と呼ばれている法華堂です。左側の寄棟造り部分が創建当時のものです。どうですか、この優美な屋根の勾配といったら・・・本当に素晴らしい!!
先程の大仏殿の屋根の勾配と比べてもらえば、その違いは一目瞭然です。甥達はその違い、そしてこの三月堂が美しいことを理解しましたよ。
この三月堂の中にも素晴らしい仏達がおられるのです。