養老孟司著「私の脳はなぜ虫が好きか?」

私の脳はなぜ虫が好きか?

私の脳はなぜ虫が好きか?



「日経エコロジー」にノストラダムス月の1999年7月から日本がワールドカップで沸いた2002年6月までの3年間連載されたもので、身近な虫の話から、TVの取材で訪ねたアフリカや虫捕り旅行のベトナム・ブーケット等の紀行や、ロスチャイルド家大英博物館をめぐる昆虫の話題等、やはりそのフィールドは軸を虫に置きつつも、『環境』『エコ』という話題に向き合っていく内容でありました。
「地球環境」のことだけ考えるなら「人間」がいなくなればよい・・・そこを全く考慮せずに、ひたすら経済面でのみ話される『環境』『エコ』の醜さを語られています。


『私は無知だということを知っているが、多くの人は自分の無知すら知らないのではないかという疑いがある。』なんて言葉も面白いではないですか。

人間の化学の進歩は多くの新しい化合物を作り出しており、養老先生がひと昔前に読んだコラムにはその数字が800万と記載されているとか・・・。もはや、この800万の化合物を全て暗記することは不可能でしかない訳で、それらの化学物質が複合して、人体(本では「細胞」と記載)に入り込んでどのような事が起こり得るかは全く予測不可能というしかなく、その中にあっては人間は全く無知&無能というしかないのですね。
私達はミクロでいえば素粒子の研究、マクロで言えば宇宙の研究と、この20−21世紀には目覚しい進化を果たしているのですが、それが部分部分では不明であったモノが明朗になっただけで、全く全体像―ミクロからマクロをつなぐ世界は解明されていないのです。
マクロ=宇宙といった大げさな話ではなく、ミクロ=素粒子・マクロ=細胞としても同じことなんですね。

そんな中、養老先生はヒゲボソゾウムシという小さな甲虫の日本における変異を中心に研究する日々をおくりながら、時には世界に出掛けて昆虫採集をされているのです。
先生も生命を殺すという昆虫採集に迷いを生じ、一時昆虫採集から遠ざかっておられたのですが、その先生の煩悩をはるかに凌ぐ環境の激変で虫達が姿を消して、そんな事はもういいや!!と吹っ切られたとのことです。

自分自身を振り返れば、この夏には昆虫採集をしたいなあ・・・なんて思いつつも秋を迎えてのこの連休、ピーマンを半分に切ったところ出てきた蛾の幼虫を殺しきれないのでした。