荻窪ブラリシャラリ 

土曜日に投資会社の訪問から逃げるように荻窪に向かった私は、東に向かったものの道が南東方向に走っているため、知らぬうちに南下してしまった話は少し書きましたネ・・・なんてイチイチ覚えとるかいっ!! と言うツッコミありがとう。
そこでやって来たのが、この善福寺川公園でした。

緑多きこの公園の川を渡って荻窪3丁目へと向かいます。
その途中にある団地「荻窪アパート」の存在感に度肝を抜かれました!!!

こりゃ素晴らしい建築ではないでしょうか!? 近々建替えになりそうですので、もう少しベストアングルを撮影しに、また行きたいものです。
このアパートの北側に最近公開が始まった角川庭園がありました。角川書店の創業者である角川源義氏の旧邸宅です。あの春樹坊ちゃまも暮らされた思い出の地なんでしょうなあ・・・しかし、道に迷った為に、もはや17時の閉園時間を過ぎていたのでした。
さあ、次の目的地は荻外荘です!!!

電柱のその記載を見つけました!!!(もっともあるブログでこの存在を知っていたんですが・・・)
荻外荘(てきがいそう)ってご存知ですか?
戦前の総理大臣を2度勤めた近衛文麿の邸宅です。ここではいくつもの重要な会談が行われました。戦争への道をころがっていく中で、それ等の会議はその歯止めにはならなかったんですがね・・・
戦後はここで近衛文麿は服毒自殺を遂げております。


門構えはひっそりと残っており、邸宅はこの奥の方に引っ込んでいるようですが、昔はこのあたり一体が荻外荘だったのでしょうね。

道路側には高級マンション等が建てられておりますが、ここも荻外荘跡でしょう。
このあたりには豪邸が多いですよね。それも古くからのものというよりは今風に建て替えられた豪邸が並んでいます。戦前には陸海軍の多くの将官が、この地に住んでいたといいますから、その子孫の方も多い事でしょう。
もう少し荻窪駅近くに向かうと、こんな門構えの公園がありました。

「大田黒公園」です。ここも閉園時間をオーバーしていたので入れませんでしたが、趣としては「勝手に閉門蟄居」している風に見えないこともありませんね。元の住人大田黒元雄さんとは日本で最初の音楽評論家だそうで、「音楽評論家で何故にこんな豪邸に?」と思ったのですが、お父様が水力発電東芝の再建に腕力を奮ったという立志伝中の財界人だったのですなあ… 成る程、「高等遊民」だったんだ。
さらに駅に近付くと、有名な旅館「西郊ロッヂング」に出てきました。

今はこのアール部分の洋館は個室毎に賃貸されているそうです。
この角を右折、写真でいうと、左側に向かうとスグに最終目的地である「読書の森公園」でした。ところどころに井伏鱒二の「荻窪風土記」が書かれた碑があったりして、成る程、読書の森なんだと思ったものです。ただ、目的はこの公園に設置された銅像でした。
誰だかわかります?

そう、マハトマ・ガンジーです!!
インドのNPO法人がこの地を選んだのだそうですが、日本ではじめてガンジー銅像がこの地に建てられたのには理由があります。
この公園の近くの蓮光寺というお寺に、もう一人のインド建国の英雄チャンドラ・ボースが眠っているからなのです。
ボースは当初ガンジーと共に独立闘争を行っていましたが、後に別れて軍事力による独立を目指していくのです。日本と利害が一致し、インド国民軍を率いたボースはあのインパール戦争に加わりインドを目指しました。日本が敗れた後はソビエトと組もうと、台湾から飛び立ったところ飛行機が墜落して命を落としたのでした。
ボースに仕えていた方が杉並におられたことから、この地で葬儀がおこなわれ、お墓も建てられたとのことです。

ガンジー像のうしろのガラス張りの建物はなんと杉並区立中央図書館でした。成る程成る程、それで「読書の森公園」なんですね。
さすがに中央だけに蔵書も多く、今度はその森にさ迷いこんでしまいました…。