紀尾井町から平河町へ

土曜日の夕方、「桂よね吉独演会」を聴きに国立演芸場に出掛けたことは書きましたが、その寸前に非常に短いながらも東京散歩を楽しみました♪ 簡単に言えば、永田町から地上に出る時に、一番東側から出れば国立演芸場に近いのですが、あえて一番西側から出て、クルリと遠回りして国立演芸場を目指したワケです。(一番下の地図参照)
あがると、スグに赤坂見附の交差点。見附(みつけ)とは以前にもご紹介しましたが、城門があった場所で、江戸城(今の皇居)には36の見附があったとのこと。そのひとつにして現在の地名では一番有名な見附じゃないでしょうか。そこには堀の一部・・・JR中央線の市谷付近の堀が四谷あたりでなくなり、ここ赤坂見附で一部復活しているのです。


そこにかかるのが弁慶橋。ここを渡ると紀尾井町です。紀州徳川家尾張徳川家、それに彦根の井伊家の屋敷があった為に頭文字を合わせて紀尾井町となったのですが、こういう地名って珍しいですよね。橋を渡ってスグが紀州徳川家の跡地。
この辺りにはお屋敷が多かったもので、ところどころに公園が残っていますが、その大きな敷地を利用して、今は大型ホテルのメッカと化しております。
まず目に飛び込んでくるのが、バブルの頃によく聞いた気がするホテル名、「赤プリ」との略称で呼ばれていた「グランドプリンス赤坂」でおます。写真の通り、凄い高層ホテルです。(地震の時には泊まりたくないですねえ・・・まあ、そんな贅沢はしないか。)

弁慶橋を渡ると広い道がスッと伸びております。

ここが清水谷。紀州徳川家の敷地内に清水が湧き出したのでこの名前がついたとのことです。その清水でしょうか、近くに大きな池のある公園がございました。その公園の横にあったのが参議院清水谷議員宿舎です。

左:参議院議員会館 右:清水谷庭園 なにやら夕闇迫って不気味な気配でありますな。
この清水谷公園内に大久保公哀悼碑があるとのこと・・・本日は見ませんでしたが、1978(明治11)年西南戦争の翌年に明治の元勲大久保利通はこの紀尾井坂で暗殺されたのでありました。享年47歳!! 若いなあ〜。ちなみに玄孫のひとりが麻生太郎(あと少しだけ)現首相!!
清水谷の道を進みますとやがて四つ角に出ます。

左に行けば紀尾井坂、右に行けば清水坂、今日は清水坂へとまいります。(紀尾井坂の北側は上智大学です。)
なだらかな坂をのぼり、紀尾井町の交差点を過ぎると平河町田中派の事務所があった砂防会館なんかがあるところですね。政治家の事務所の看板もところどころで目に致しました。
平河町をナナメに突っ切って、ハイ国立演芸場に到着致しました♪