駒込千駄木根津散歩3

団子坂上の写真・・・ここの信号を右に入っていくと根津へと至る藪下通りです。タキさんと坂下で合流後、まず向かったのは写真では暗くて見えないですが、坂の途中にある三菱東京UFJ銀行の角を逆に左方向へはいった先にある須藤公園でした。(その途中に「講談社発祥の地」という碑がありましたよ)

藤公園も2回目ですが、立派な池に滝まである回遊式庭園です。なんでも江戸時代には加賀藩支藩である大聖寺藩の下屋敷だったそうで、維新後人手に渡り、最後は実業家の須藤氏の邸宅であったのを区に寄託されたものだそうです。家のスグ近くにこんな公園があったら素敵ですよね。この公園の横に団子坂を並走する急坂がありまして、それを上り、団子坂上に出ました。
そこで昨日の自販機に遭遇するワケです。(そうそう、あのは私が引き取りました。―笑)
そこでTOPの写真に戻り、ここの信号を左に入っていくのですが、その一角が旧森鴎外邸宅跡でございました。

ここは区立の図書館になっていて以前訪問した時には鴎外の展示室がありましたが、しばらく休館になっているようです。しかし、その裏庭には忍び込めるようになっておりまして・・・

庭にあるあのテロっとした石が「三人冗語の石」と呼ばれるもので、鴎外の邸宅「観潮楼」であった頃からのもの。飾られている写真の通り、この石に座っているのが森鴎外その人、真ん中が幸田露伴、右の人が斉藤緑雨さんです。もうひとつ残っているのが庭の写真の左端に写りこんでいる大銀杏だそうです。
「三人冗語の石」も明治の写真と比べるとボリューム感に欠けてまして、タキさんは「随分埋まりましたね」とつぶやいておりました。
さて、観潮楼跡を出て、藪下通りを進みます。

これが藪下通りです。右側の緑の柵のむこうは断崖絶壁でその下に中学校がありました。(この道は本郷台のヘリなんですかね。)
この藪下通りに素敵な丸石の石垣があり、その間に階段がありましたので曲がってみました。

こういう石段や坂を上り下りするのが東京散歩の醍醐味のひとつであることは言うまでもありません。よっこらしょと上るタキさんを尻目に、ヒョイヒョイと上っていきました。スグの道を左折すると、オヤ素晴らしい!!! 今度は急な下りの階段がありました!! 

いいよなあ・・・思い出してもにやけてしまう程に、ココは素敵な散歩コースですよ、皆様!!
そのうえ、この階段を下りてスグのところに、妙な公園がありました。
名づけて「千駄木ふれあいの杜

手入れが行き届いていないようで、木製の看板はアチコチで倒れまくっているし草木生え放題の凄まじさに恐る恐る奥へと入って見ると・・・

まるでジャングルですよ。私はTV版「マグマ大使」の冒頭の家自体がタイムスリップして中世期のジャングルの中にきてしまったシーンを思い出したほどです。
いやあ、奥が深いゾ、千駄木!!!
森から生還して、道を進みますとT字路に突き当たり、左折して薮下通りに戻ります。
ふたつ目の右に入る路地がまたまた階段でここを上ります。

この横が日本医科大学であることから「解剖坂」と呼ばれています。坂を上りきったら、左折して根津…というところを少し寄り道で右折。


ここにあったのが漱石「猫の家」跡の碑です。ちょうどクロネコがとまっていたので急いで撮影しました。偶然とはいえ面白いでしょ!?
漱石は英国留学から帰国後にこの家に住み、「吾輩は猫である」を創作しました。そこで通称「猫の家」と呼ばれているのですが、この家には漱石が住む前にはナント鴎外も住んでいたことがありまして、日本文学史上重要なモノだとばかりに今は犬山市明治村に移築されています。でも、この近くに同じような家を復元したら面白いのになあ・・・
道を引き返して大通りに出ますと、根津神社はもうスグです。
裏門から境内へと入りました。ここも久し振りですが雰囲気がありますよねえ・・・

あとは根津周辺、というよりは根津神社と飲み食いのみが残っているのですが、そのシッポの辺りはまた次の機会に・・・



1須藤公園 2観潮楼跡 3千駄木ふれあいの杜!! 4漱石「猫の家」跡 5根津神社
ちなみに自働販売機があったのは2の近く。藪下通りは2から下に伸びる道・・・その右側は絶壁ですゾ!