石川文洋を旅する


ポレポレ東中野で「石川文洋を旅する」を観ました。
ベトナム戦争から沖縄と石川さんが取材してきたあとを追いながら当時を追体験していきます。
枯葉剤の後遺症や、沖縄の米軍基地問題と今尚続く問題に直面させられました。

石川さんは沖縄で生まれて4歳の時にお父さんの仕事の関係で船橋に引っ越して来ました。ですから沖縄の地上戦や、学童疎開の悲劇、米潜水艦に撃沈された対馬丸事件も他人事と思えず、戦後も取材され続けてこられました。

ベトナム戦争に従軍カメラマンとして身を投じられたのも、ご自身が沖縄戦を体験しなかった事とは無縁ではないでしょう。
なんども「自分は侵す側で取材した」との文言が入ります。資本主義側の南ベトナムを支援する米軍と同行し戦場に赴き、死と直面されているのです。
言わば沖縄を攻撃する米軍側の視点に立っていた訳ですね。

米軍には同世代の日本人兵もいました。彼はハワイに移住し、永住権取得の為に3年間の軍役についたところ、ベトナムに来てしまいました。
石川さんは日本で方向性を見失い、無銭旅行での世界一周に挑戦しているところでベトナム戦争に遭遇、従軍カメラマンの道に入りつつ未だ将来を模索していました。やがて二人は時間があれば語り合う親友となる。
永住権後の生活を夢見る青年と、従軍カメラマンとして生死の境目でシャッターを切りつつも将来が見えない若者・・・その人生はベトナムに地で確かに交わっていたのでした。