2015年11月30日のツイート


水木しげる先生の訃報は仕事中に同僚の会話で知りましたがそれ程の驚きはありませんでした。
あの先生なら今までも何度となくこの世と彼岸を行き来していた事でしょうし、今回もひょいと向こうに
渡られただけのような気がするのです。結構あの世に知り合いもいるような気がします。これからも
魂魄はこの世に時々漂われると思うのです。それは決してこの世に未練を残して、と云うのではなく
こちらの具合を興味を持って見物しにやって来られると思うのですよ。「やあ、みんな元気ですかあ」
とね。
そう思えば悲しくないのです。 

 水木しげる先生を知ったのは、最初はモノクロのTVアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」でしょうね。あのテーマ
ソングは強烈でした。作詞が先生で、作曲は大物いずみたくです。熊倉一雄氏の声とあいまって子供の
心にずどんと響きました。 しかし、調べてみると実写版の「悪魔くん」の方が古かったんですね。
私が小学校1年生の時です。うさんくさいメフィストの顔!! 暗いテレビ画面共々強く印象に残っています。
(もっとも暗さなら同じ実写版の「かっぱの三平」の方が数段上だったでしょう)
その「悪魔くん」の一話でペロリゴンという舌が長い怪獣が登場する回がありました。その楽しみにして
いた放映日の昼間、祖母に連れられて「宇宙怪獣ギララ」という映画を観に行ったのです。すると同時
上映で「ガメラ対ギャオス」をやってくれ、おまけにマトリョーシカが主役のような教育映画までやった
ものですから、外に出ると狐につままれた様に真っ暗で、「悪魔くん」もとうに終わっておりました。
人生の無常を感じたのはあの時が初めてだったような気がします。なんとなくペロリゴンがトラウマ化
しているのですね。
さて、親に買ってもらった数少ない漫画の一冊がゲゲゲの鬼太郎の一冊でした。そこに掲載されて
いた「食人島」の話、あれは今でも強烈に覚えています。海の上に突き出している島部分は頭の一部で、
海の中で人型の岩が屹立している訳です。市川崑監督の「獄門島」を観た時には、あれはひょっとしたら
食人島じゃないかと思ったものです。 
漫画では他には講談社漫画文庫の「丸い輪の世界」を手元に置いて何度となく読み返しています。あの
時代のガロに掲載した漫画が一番好きですね。
そういえば一箱古本市仲間には水木先生好きが多いですね。ひょっとしたら漫画家では一番人気かも
しれません。

あと思い出としては残念ながら今は亡き宝塚ファミリーランドで子供のころ毎夏怖くないゲゲゲの鬼太郎
のお化け屋敷をやってました。
家族で行ったり友達と行ったりと、なんだか毎年行ってましたよ。ゆるーい内容で私は好きでした。後年は
「ドロロン閻魔くん」なんかに変わったりしましたがね。なかでも強烈に覚えているのは幼稚園に入る前の
弟を連れて行ったところ出口付近で待ち構えていた目玉おやじねずみ男の着ぐるみにギャーと泣き出し
て、場内を逆走! うろたえた目玉おやじねずみ男が追いかけてきた事ですねえ・・・。 

先生はご存知のとおり、文章も秀逸じゃないですか。なかでも好きなのがちくま文庫の「ねぼけ人生」
あれは人生に行き詰ったときには是非読んでもらいたい一冊です。「なんとかなるものだ」の九文字があの
本の中に詰まっているのです。
いや、いろいろ想い出を書きすぎました。申し訳ございません水木先生。

しかし、忘れてはならないのは戦争体験の語り部としての先生です。片腕を奪った戦争について先生は幾度
となく語られました。梯久美子さんの「「昭和二十年夏、僕は兵士だった」(角川文庫)は先生を含めて多くの方が
あの戦争を語られていて是非読んでいただきたい一冊ですね。
このきな臭い世の中を先生の魂魄はどのような思いでふわりふわりと眺めておられるのことでしょうか。 
そのあたりも含めて先生これからもよろしくお願いいたします。