p1[信州つれづれ] 国宝 仁科神明宮に詣でる


訳あってこのところ書架の整理を日々しているのですが、随分前に購入した「建築探訪 関東甲信越編」という本が出てきました。

眺めていると、大町の南にある「仁科神明宮」が国宝と書いてあるではありませんか。
少し遅くなりましたが、2時過ぎから県議会議員選挙を済ませてから、安曇野経由向かいました。

選挙は村井駅前の公民館で行われますが、そこは村井宿の番所跡です。隣に神明宮があり、これから仁科神明宮に行くわけですから顔を出しておきました。

本当に信州にある神社の境内はどこも立派ですよね。
左下は公民館前の村井宿札所です。右下は神社横の公園、まもなく桜満開ですね。

近くの村井小学校跡のシダレ桜は満開でした!!

さあ、行くぞお!!
と、いきなり前は農作業車です。今日は何回見かけたことでしょうか。

重文本殿のある梓の大宮熱田神宮前から室山、烏川と通り抜け、有明から有明大町線を北上し、大糸線信濃常盤駅付近で地図を調べ、もう近くであることを知りました。
その手前で素敵な道祖神がありましたよ。(田舎道を走って見つけたので、もう二度と行けないかもしれませんよ)


大黒様と並んで春の景色を眺めておられました。後ろには嘉永亥年八月と刻まれていましたから、大変手厚く祭られ続けていたのでしょうね。浅い彫りまでがよく残っています。


大糸線を渡り、高瀬川を渡り、思いのほかの急勾配を登った先に仁科神明宮はありました。
まずは鳥居のお出迎えです。

この鳥居をくぐり、駐車場に入った時には杉の巨木に目を奪われていました。

樹齢八百余年の三本杉でしたが、真ん中の1本が昭和54年3月に突風により倒れたそうです。この鳥居横の杉を見ただけでもこの仁科神明宮の凄さを感じられますよね。

この杉の生命力は素晴らしくて、枝の一本はこのように地に向かってから天を突くように、まるで竜のような姿になっていますよ。
参道の先には禊場がありました。
これも立派なものですね。脚の部分は相撲取りのような邪鬼になっていました。

そこから直角に曲がって階段となり拝殿の前に出ます。


二礼二拍手一礼し、やってきた挨拶をしました。

この破風から千木が伸びているところが神明造りの特徴であり、この造りでは日本一古いものなのだ。
棟木の上には6本の鰹木が乗っている。
建物自体は江戸時代寛永年間のものですが、様式は室町時代まで遡るようです。
もう人もおらず、雰囲気に押されて早々に退出しましたが、また一度訪れてみたいものだと思いました。
この仁科神明宮の近くには重要文化財観音堂を持つ盛蓮寺があり、そちらにも立ち寄りました。(この観音堂も建築探訪に掲載されておりました。)

バスで2停留所分北の道を下っていくと直ぐに盛蓮寺はわかりました。
かわいい門(あまり見たことのない様式ですね)をくぐると本堂に向かって右手にその観音堂はありました。


屋根の形がいいですよね。こういうお堂が好きですな。
もともとは萱葺きでしょうから、いつの日か屋根の覆いが外される日が楽しみです。
時代は室町時代天明4(1240)年と説明板にありましたから、室町時代にはこの一帯を治めた仁科氏は相当裕福だったのでしょう。
帰りは一度仁科神明宮の方まで戻りました。道端にあった石仏が気になったのです。
その石仏の近くで停車し、姿を拝みました。

この角に道を背にして座っている石仏がありました。

正面から見ると、「あなたはどなた?」全く初見の形でした。


調べると、ラドン温泉の「すずむし荘」が近いことがわかり立ち寄りました。


2度目ですが、初めて25度の源泉にもつかってみました♪
宵闇迫るなか、山々はどこまでも美しい。