下板橋から池袋へ 乱歩旧宅を捜して

今日は昼頃から下板橋の虎千代さん宅へ出掛けました。(虎千代さんは以前景虎という不識庵謙信の名を名乗っていましたが、大河「天地人」で北条からきた謙信の養子が景虎になっていた、まあ史実もそうなんですが…そこで混乱を避けて、ひとまず虎千代に変えられたとのことです。)
とある事情でなかなか出歩く事の出来ない虎千代さんと、持参したワイン飲みながら15時過ぎまでチェ・ゲバラの話しなどをしました。(ゲバラのDVDをお借りしていたんでね。)

  
(下板橋の背の低い駅表示が笑えます。その裏手は元ゴミ処理場だったとかで、今はシートに覆われ、ブロックが規則的に置かれているのが前衛芸術のようで面白い。)

さて、下板橋発散歩のスタートです。前回はJR板橋駅前で近藤勇の墓を詣でて、目白まで歩きました。今日は・・・立教大学近くの江戸川乱歩旧宅や千早2丁目にある熊谷守一美術館、更に余力があれば椎名町トキワ荘跡まで足を延ばそうという魂胆…
虎千代さんと下板橋駅前で別れて南へ南へ。三鈴湯という風呂屋が元あった角を曲がり西へ少し行くと小さながら富士塚のある氷川神社

  
富士塚は明治のものだそうです。7月1日が山開きでまだ登ることは出来ませんでした。
神輿の倉庫が並んでいる景色がいいですね。


参詣し表に出ると度の強いメガネをかけた外国人の男の子がオヤツを小さく千切って葉っぱの上にひとつずつ置いている。
「なにしてるの?」と問うと、
「葉っぱにご飯あげてるの」
「そう…バイバイ」
「バイバイ」

やがて国道317、ここも山手通りと言うのでしょうか?にぶつかり南下、熊野神社に立ち寄ってから池袋3丁目4丁目を抜けて地下鉄有楽町線要町駅を目指して南下しました。

池袋の町中は塀が高く、緑も少なめで歩いていて面白味にかけるきらいがありますね。そんな中で点在する神社はオアシスのような安心感を与えてくれます。この神社も戦災で全焼したとのこと・・・このあたりは焼け野原になったんでしょうねえ。獅子の新しさがリアルに物語っているようです。

317を越えてスグのところに境井田橋という橋がありました。川もなく、高架にもなっておらず細長い公園でした。
昔はここの小川が流れていたのでしょうね。そしておそらくこの小川で洗濯したり、子供達が遊んだりしたことでしょう。
東京を歩いているといたる処に、こうした川の跡が残っています。それは公園であったり普通の道路だったりするのですが、それをたどって行くのも町歩きの楽しさのひとつですね。

さて、
その手前にある洞雲寺と祥雲寺の間の道が面白かったですね。

その祥雲寺には「サイボーグ009」の石森章太郎が眠っています。
要町駅のある、池袋駅西口にぶつかる道を横断するとスグに立教大学がありますが、その手前に江戸川乱歩旧宅がありました。迷って裏側からアプローチしてしまいましたが、蔵書が残る書斎でもあったという蔵は健在でした。


裏手に廻り、立ちはだかっているマンションの自転車置き場のところから覗くとクダンの蔵がございました。

また、その道の奥には乱歩旧宅近くにふさわしい怪しげな雰囲気をさせたアパートがあったりして気分を盛り上げてくれるのでした。

ワイン飲んで、気温上昇しての散歩はきついですなあ…
もう、とても椎名町まで歩く元気はありません。疲れはてて池袋駅西口に向かいました。

(写真は立教大学礼拝堂)


西口の池袋演芸場は何をやっているのかな?と行ってみると、落語芸術協会の真打披露興行でした。これから鯉昇師の出番もありましたが、立ち見のようで…パス!! 近くの立ち食い寿司に立ち寄ってからまた通りかかると、ふくよかな女の子が袴姿でノボリの撮影に悪戦苦闘しているところでした。持ってあげますよ、と声を掛けてのぼりの端をツマみながら、
「真打になられたのですか?」
「はい」
「おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「時々寄席にも行きますので、がんばってください」
とお声掛けしておきました。帰宅後確認すると・・・昇美改メ橘ノ杏奈さんという噺家さんでした♪






①が氷川神社、②が熊野神社 ③が祥雲寺 ④が江戸川乱歩旧宅