稲荷町界隈

地下鉄銀座線稲荷町駅3番出口をあがると、そこは稲荷町交差点。

浅草通りと清洲橋通りが交差しています。「上野下アパート」があるという東上野5丁目は浅草通りの北側、清洲橋通りの東側の一帯でした。どう行ってみるかと迷いながら、清洲橋通りを北に折れて1本目を左折すると・・・いきなり「上野下アパート」だったのです!!

4階建てで横に50Mと長いコンクリート造りです。両端の棟が一部前に突き出していてシンメトリーな形になっています。

何箇所かに入口があり、「上野下アパート」と表札が書かれていました。居住区進入不可となっています。
見上げて大写しにしてみると・・・

写り込んだ電柱も古風なデザインでいいですよね。
窓手摺りのデザインもシンプル且つ時代を感じさせるもので素敵です。
この「上野下アパート」は1929(昭和4)年竣工です。
上の2枚目の写真で3階の上に屋根がせり出しているように見えるのは、4階部分がオーバーオールになっているからで、4階のみ単身者用で真ん中に廊下があり、その廊下分のみ、このように張り出しているんだそうです。

 

「上野下アパート」の前には右上写真のような木造民家が残っていましたし、通り過ぎて北へ右折すると古い長屋(左上写真)も残っておりました。彦六になってから亡くなった先代の林家正蔵師は稲荷町の長屋に住んでいて「稲荷町の師匠」と呼ばれていました。この長屋じゃないかもしれませんが、こういう処に住まわれていたんでしょう。
長屋前を通り過ぎて、次を東へ「上野下アパート」の裏側に廻るような形で右折しますと、立派なお風呂屋さんがありました!!

夕方になってたくさんの方が歩いて、自転車に乗って銭湯「寿の湯」に来られています。同潤会アパートにはお風呂はなかったと思いますので、このアパートがある限りはこの銭湯も現役でいてくれるのでしょうね。
銭湯の上に「上野下アパート」がのぞいています♪
この「寿の湯」の前を通って清洲橋通りに一旦出て、また北へと左折すると、左手に曹洞宗豊川稲荷道場がありました。通り過ぎて、次を左折しますと・・・この豊川稲荷道場の蔵がまるでクロサワの時代劇のような存在感をはなっていたのでした。

この東上野5丁目は凄いところですね。ほんの少しクネクネと歩いただけで、こんなに見所があるなんて!!!
この続きはまた次回にでも・・・