諏訪大社前宮へ参詣す 諏訪紀行1

6月19日、朝方の雨も止み、高速を走って先ず向かったのは諏訪大社前宮でした。
諏訪大社四社のうち、唯一訪れたことのない神社でありました。

涼しい大気をヒグラシの鳴き声の木霊が震わせており、駐車場から少し入っただけで森林の中にいるような錯覚させ覚えます。
本殿はこの更に奥なんですがね。
鳥居の左手に見える建物が「十間廊」といい、中世までは大祝(おおほうり:代々受け継いでいく最高位の神職)が貢物を実見する場でした。

特に4月15日の「酉の祭」には75もの鹿の頭がここに供えられていたというから驚きです。
(今では鹿の頭の人形を供えているらしいが、これだけ鹿が増えたので復活してもいいのではないでしょうか)
その祭りの様子を江戸時代の民族学菅江真澄が書き記したものから復元展示しているのが、前宮近くの守矢神長館。ここは「諏訪紀行2」で詳細に語りたいと思いますがその展示はこんな感じです。

ここから坂道をのぼっていくと前宮本殿がありますが、かなり離れています。
本殿の左手から正面に向かって清らかな小川が流れていて、ここで手を清めます。この流れを「水眼(すいが)」と言います。「水の眼」!!なんとも肌が粟立ってくるような名前ではないですか!!

 


伊勢神宮五十鈴川のような大きな川ではなく、まさに近くの山より湧き出したばかりの清流というのが感動的です。御柱の近くには池状になった部分もあり、そこには「車や獣を洗うな!!」という立て札がありました。(一番下に写真あり)

立ったばかりの御柱もきれいですよね。

木の皮が剥かれて「むき出し」感のある御柱は太古と交信する電波塔のようでもあり、またその姿そのものが「縄文」に通じるエロティックさに溢れていました。やはり、これは現地に来ないと体感出来ないですね。
この川から少し石段を登ると拝殿があり、その後ろが本殿です。


天皇陛下より御幣を頂いた旨の木札がありましたが、ここの最高神官「大祝」氏を追放したのは、明治以降の国家神道なのですから、少々違和感を感じてしまいますね。(もっとも、現在諏訪大社神社本庁下の組織に組み込まれているのでしょうが・・・)

前宮はもともと諏訪大社が最初におかれたところだそうで、そういう意味では紀伊熊野大社の大斎原を思いおこさせます。共通する荘厳さがありましたね。


周囲にはまだいろいろなものが点在していました。一番下の地図で見てもらえればわかりやすいでしょうか。

 
 

まずは諏訪照雲頼重供養塔。頼重は「太平記」にも登場する大祝を務めた武将で、足利勢との戦いで戦死したとのこと。
大木の根元に置かれた小さな祠。ここには蛇の形をした「ミシャグジ神」が祀られています。ミシャグジ神も縄文よりの信仰が続いている神のようで、大木の根元にはこの神が祀られていることが多いのです。
ついで御手洗川「水眼」の立て札『当河川にて自動車動物等を洗うことを厳禁する  安国寺区長 安国寺衛生自治会』
自動車と動物の間に句点がないことが面白いですよ。「厳禁」という響もいいなあ。また「安国寺」という足利時代に全国に置いた寺の名前が出てくるのも面白い!!
最後は「弓立石」という立石。縄文!!!と思いましたが、これは大祝の居館の庭にあった石のようです。前宮の下一帯は大祝の居館跡で、道沿いには明らかに土塁跡とわかる痕跡も見出せたのでした。



前宮一帯にはこの地図のようにたくさん謂れのある場所が点在しているのです。
初めて来た前宮ですが、強く惹かれるものを感じ、再訪を期しました。ここから先程記述した守矢神長館と諏訪七石のひとつ「小枕石」に向かうのですが、それはいずれ「諏訪紀行2」として記述致します。