第3回大阪芸能博覧会「上方舞」

さばの湯は色々と変化する。普段はカウンター形式の立ち飲み居酒屋、時にテーブルをいくつか置いた普通の居酒屋風、それらをとっぱらってスタンダップトーキングの会場になり、そこに高座つくって落語。更に今夜はカウンターやテーブルに椅子も後方部分以外はなくして茣蓙敷いて座布団を並べ、榀材(しなざい)のカウンターを床に並べて舞台に早変わりだ。そこで舞い、ハコを置いてのトーク、それにいつもより低い高座での落語が繰り広げられた。まさにさばの湯七変化‼、怖いもんなし! 
こりゃなんでも出来る。


そこでの今夜の催し物は・・・第3回大阪芸博は「上方舞


ご挨拶

山村友五郎 舞 靱猿

桂吉坊 崇徳院

中入り

山村友五郎・桂吉坊 トーク 上方舞とは 山村流とは


山村友五郎 舞 霧の雨 三味線:恩田えり


山村流宗家6代目山村友五郎さんが2曲踊られ(しかもひとつはえりちゃん演奏!)、吉坊さんが落語をし、お二人が映像を交えてトークをされたのだが、トークの内容が濃かった。
上方落語言うけど江戸落語言わんやろ、他所さんが区別するため上方舞とつけはってん。長唄のこと、僕ら江戸唄言うもん」とさっぱりきっぱり言いきるところに格好の良さを感じ、初代友五郎話に聞き入る。
初代が3世中村歌右衛門の振付をして名をあげた話、更に振付という言葉を作ったのが初代で、しかも振付師と師をつけたのも初代、のちには「師」一字で振付師を表す番付まで登場した。また、吾斗と号した。これは「がと」と読ませたが、実は「わればかり(私だけ)」という意味だ、ほんと恐れ入るばかりだ。その流れの宗家がさばの湯で舞われている訳だから凄いね。
大阪の噺家が習っている日本舞踊もほとんど山村流と聴いたし、友五郎さんが文楽の踊りの振り付けをされているのも知っている。それに宝塚の振り付けもされている。
お母様は米朝師匠達が興された「上方風流(かみがたぶり)」のメンバーのお一人でもあった。まさに大阪の文化を支えている宗家なのだ。
初代以降は代々女性が宗家を継ぎ、久方ぶりの男性ということで腰の落とし方、足の配置に気をつかっているとの解説もあり、その後舞われた「霧の朝」が殊の外印象に残った。



この床が出来たら色んな伝統芸能が可能となる。
大阪芸博これからも大いに楽しみである。