日曜日には松代柴村を散策した後に松代の町を通り抜け、松代より真田・上田へと抜ける県道長野真田線を南下しました。
まず目指す目的地は明徳寺!!
着いて見ると、写真のようになんとも立派な寺院でした。

このお寺は「蛙合戦」と「初代海津城高坂弾正」のお墓で有名のようです。「高坂弾正」はともかくとして「蛙合戦」とはガマカエルが産卵の為に境内の池に何千匹と集まってきて鳴くことのようです。そういえば昔かの「探偵!ナイトスクープ」で取り上げられていました。もっともこのお寺かどうかはわかりませんが・・・ 先日の話ではありませんが、豊年虫やカマドウマのように最近では何千匹ということはないのでしょうね。

しかし、今回このお寺を訪問したのは「蛙合戦」でも「高坂弾正」でもなく、栗林忠道陸軍大将のお墓参りにきたのでした。
梯久美子さんの著書「散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道」のラスト近く、梯さんは明徳寺を訪れてお墓参りをされています。そこに記されていた明徳寺という名前を頼りにやってきたのでした。
明徳寺は松代といっても中心部よりは随分と南にありました。
本堂に詣で、すぐ横にある「高坂弾正」のお墓に参りながら、本堂の左手から山を登るようにして広がる墓地を目にして、この中から見つけられるものかと心配になってきました。

本堂横より墓地に入ると、ゆるやかに湾曲しながら上っていくコンクリートの坂道があり、その両側に墓苑が広がっていました。―これはムリだな、と思い出した時、その坂道沿いに「陸軍大将 栗林忠道墓」と刻まれたお墓がありました。
帽子をとり丁寧にお参りさせていただきました。

明徳寺近くの集落を撮影しました。ここは明徳寺より少し山側なので、栗林将軍と所縁はないと思いますがね。


栗林家は代々、真田家に仕えていたとのことですが、この明徳寺のある豊栄から山を登っていくと、やがて地蔵峠を越えて真田に至ります。以前、真田側から松代まで走ったことがありましたが、急カーブの連続で結構ハラハラしたのを覚えています。
この日はどうしようかな、と躊躇したものの結局、地蔵峠を越えて「十福の湯」でひとフロつかって帰りました。
これが「十福の湯」入口です。こんな山の中なのに結構な人が来ていましたよ。

帰りも松代に戻って高速に乗りましたが、その際、地蔵峠にある食堂の「開店」という大看板を撮影してみました。