sampodow2007-03-03

■北国西街道シリーズ



この土日にかけて北国西街道の刈谷原から会田を回りました。
塩尻宿の手前、洗馬で中山道と分岐し、松本から長野に向かう北国西街道は別名「善光寺街道」とも呼ばれています。
江戸時代に松本から長野に行くには、この北国西街道を利用するしかなく、大変貴重な街道だったのですが、今は省みられることも少なくなっています。
あの松尾芭蕉先生も更科紀行でこの道を歩いたのですよ。

洗馬から、郷原・村井・松本と通り、浅間温泉近くの岡田宿を過ぎると山中の道になります。
(現在は自然歩道として、その付近を抜ける道はあるようですが、私はまだ歩いていません。)
その山中に刈谷原峠があり、そこを抜けると、下り道に、刈谷原宿があります。

道が下っているのがわかってもらえると思います。結構急な坂道ですが、この手前の人家の途切れた峠に至る道はもっと急でしたよ。



写真右上は鍵の手の部分です。このような山手の宿にも必ず昔の鍵状にまがった道があることが驚かされます。奈良井宿にしろ宿場には必ずといっていい程、鍵の手は存在します。
この宿場は現在の主要道路になっていない割りには、宿場町の面影が少ないように思いました。
国道143号線で上田方面に向かって走っていると、確か「天室」という交差点があります。そこを右折すると、四賀のひとつの中心地で、後程お話する四賀の化石館などがあるのですが、その交差点の1本前の細い道を入っていくと、刈谷原宿があるのです。
最初はわからず随分迷いましたが、車で入っていきますと、急な登り坂で、Uターンする場所もなく閉口しました。随分うえの刈谷原峠に向かう森の手前の原っぱでUターンし、駐車場所もないので、車でくだりながら、時々停車して撮影したのがこの写真です。
右下の鳥居は国道143号で寸断された街道の、国道を挟んで向う側にあった神社です。
国道を渡り、宿場はずれの洞光寺に行ってみました。



本堂の彫刻がなかなか精巧で驚かされました。
そこより天室交差点に戻り、この当りに福寿草の自生地があるというので、これも非常にわかりにくく、迷いながら探しました。
そぞろ歩く人の姿が見えましたので、駐車場に止めると、「はい、300円」と請求されたのでした。
この日は本当に春がきたような気候で、駐車した横の斜面には福寿草がたくさん咲いていました。ここは「赤怒田(あかぬた)福寿草公園」という怖い名前のところだそうです。


この斜面の至るところに下の写真のように福寿草が自生し、可憐な黄色い花を咲かせていました。



春の陽気に誘われて多くのミツバチも飛んでいました。この近くで養蜂をしている方がいるのかもしれませんね。
そうすると、「福寿草のハチミツ」という訳ですね。どんな味なんでしょうか?
お土産に福寿草の鉢をひとつ買い求めました。1,000円なり。高いのでしょうかね?
ただ、入れてくれた袋が不二家のペコちゃんだったのがおかしかったです。


天室交差点近くにある化石館です。今回は寄りませんでしたが、クジラの全身骨格化石があり、なかなか素晴らしいところですよ。
このあたりではたくさんクジラの化石が出ているようです。
こんなヤマの中でねえ・・・。

続編「会田宿」編はまた今度!!