ニホンオオカミに会いに行く!!  

今日は北国西街道シリーズから離れて、私のもうひとつの研究課題である「絶滅危惧種及び絶滅種(特に哺乳類)」にとって画期的な展覧会を見に山梨県笛吹市まで車を飛ばしました。
昨夜、降雪があり、自宅周辺にも雪が残り、諏訪湖あたりは、より降った様子で窓外の雪景色を楽しみながらのドライブとなりました。
富士山もま白き姿を青空にクッキリと現していましたよ。
1時間超走り、「一宮御坂」で中央道を降りたまではよかったものの、頼みのナビが「山梨県立博物館」は知りません、といった感じでどうしようもなく、高速を降りてから、まだ咲かぬ桃畑の中をあてもなく走るハメになりました。

「栗合」という交差点に出て、そこにあったコンビニで山梨の地図を買いましたが、そこにも博物館は掲載されていませんでした。もう一度、店内に入り「県別マップル」をなめる様に見て初めて「県立博物館」を発見しました。
(あとでわかった事なんですが、この博物館は平成17年に出来たばかりなのでした。)
そこは、この「栗合」から道一本で行けるところでした。(但し、「栗合」は高速の南、博物館は北側でしたが・・・)

ようやく博物館を見つけ、風林火山色に染まったロビーを抜けて「オオカミがいた山  消えたニホンオオカミの謎に迫る」に入ることが出来ました。そこで大変驚く事が起こったのです。(小さく「あっ」と言ってしまった程です。)

今回、この山梨県立博物館で「ニホンオオカミ展」が開催されたのは、ここ御坂でニホンオオカミの頭蓋骨が発見されたことによります。
それは平成15年に御坂の鈴木さんの自宅にあった動物の頭蓋骨がニホンオオカミのものと鑑定されたのでした!!
長年、仏壇の上に置いてあり、子供が夜泣きをしたら見せたという、その頭蓋骨は驚いたことに鼻から頬にかけてミイラ化した皮膚が残っているのでした。

その時の新聞記事が掲示されており、その小さい文字を追っていてビックリ!!!
その御坂の鈴木さんのお宅は「栗合」なんですよ。
私が迷ってコンビニに駐車した「栗合」こそ、今回の企画展の出発点であり、この標本のあった場所だったのですよ。
まあ、偶然にしても、スゴい確立だと思うのですが・・・。
この黒々とした頭蓋骨を穴の開く程、観察し、

さあ、次も大興奮の剥製標本2体とのご対面です。
国内に3体しかない、全身剥製のうち1体は上野の国立科学博物館でお目にかかっており、本日の東京大学農学部標本と和歌山大学農学部標本で日本に現存する全身標本を3体共に見れたことになります。
(さらに、愛地球博でオランダ・ライデン博物館の標準標本も見る機会を得ており、4体を目にするという幸運に恵まれました。)
しかしながら、この並んだ2体は同じ動物なんだろうか?と悩む程に違います。何よりも頭のカタチが、東大の方(一番上の写真)はスラッとしたキツネ顔ですが、和歌山のオオカミは鼻から頭上にかけて立ち上がっており、イメージ的には犬のような感じでした。(下図)



(ヘタな絵ですが、WINDOWSのペイントで作成したのでお許しください。)
それにしても、この違いはどういう訳だろうと思っていると、説明文で謎は解けました。和歌山オオカミは最初に剥製を作る際に頭に詰め込み過ぎて皮が伸びてしまっているのでした。

江戸時代、オオカミの頭蓋骨は狐付きを落とす為の祈祷の道具として山梨・神奈川・東京西部を中心として民家に伝わっています。今回は10点以上が展示されており、大変興味深いものでした。その多くは神棚や仏壇に置かれていた為に黒く煤けいます。

ニホンオオカミはイノシシ等の害獣に苦しむ農家としては頼りになる存在であって、滅多に人を襲わないことから恐れつつも信仰の対象となっていったようです。
特に秩父三嶺神社はオオカミを眷属としており、その講が幕末頃に山梨等で盛んになったことが、このようにオオカミの頭蓋骨がたくさん残ることに繋がっているようです。
特にコレラが流行した時には、それが「アメリカ狐」や「千年モグラ」が憑り付いて病気になるという噂が広まり、このオオカミ頭蓋骨がひっぱりだこになったようです。
このオオカミの頭蓋骨を借りる事を「御眷属拝借」と呼ぶところが面白い!!

今回の展覧会はニホンオオカミの剥製のみならず、オオカミと人のつながり、その民俗学的な探求に目が向けられているところが、私にとってはストライク中のストライクな思わず見送り三振してしまうような内容でした。

2時よりノンフィクション作家山根一眞氏の講演会「取材10年―ニホンオオカミの謎を解く」があり、これまた熱心に聴きいったのですがこの話はまた今度!!