■北国西街道シリーズ



実は3月11日(日)に会田から一気に篠ノ井まで走ってみました。
会田 ― 青柳 ― 麻績 ― 稲荷山 ― 篠ノ井
あとは丹波島―善光寺だけです。ただ、この会田―篠ノ井の間には2つの大きな峠があって、こりゃあ歩くのは大変というか・・・今の僕には無理じゃないかと思わざるを得ないのでした。

まずは豊科ICより会田宿に出ました。

 

四賀村役場前の道を進むとT字路につきあたりますが、そこに小さな左善光寺の道標がありました。
ここを左折し、しばらく行ってからまた左折し、山へと登りだします。


左上:前回「会田宿」でも紹介しました立派な街並です。 右上:左折すると上がり坂です。
左下:道の両側にある善光寺常夜燈  右下:松沢家門

前回の会田宿訪問はこの少し上で断念しました。この先に「岩井観音堂」があるのですが、そこまではたどり着けませんでした。歩いて登ったこの道を今回は車で通過しました。
相当登ってから、道路上に小さな標識があり、そこから山の中に入っていく小道がついていましたので、駐車し、その道へと入っていきました。
ここからの景色は絶景でした。

なかなかの急坂をどこまで登るのだろうと、心配していると、突如として想像以上に立派な観音堂があらわれたのです。

その横の岩肌には立派な磨崖仏がありました。息を呑む程に素晴らしい地蔵です。いつ頃のものでしょうか・・・。


どうです? なかなかのものでしょ。
観音堂前の説明板には210cmとありました。もうひとつ大黒天の磨崖仏があると記載されていましたが、それは発見することが出来ませんでした。
こういった磨崖仏以外にも至る所に石仏がありました。観音堂の後ろは巨石があり、この地は古代から祭祀を行っていたのではないかと推察されます。

足元にはこんなにかわいい仏様もありましたよ。

馬頭観音でしょうか・・・。
私は大黒天を探して、観音堂とは反対側の道を進んでみました。すると、こんな景色が開けてきてビックリ!!

ここは砂岩や礫岩の地層であり、おそらく化石もでてくるのではと思われる地層でした。それにしても、ここが太古は海面下であったとはねえ!!
この岩井観音堂は信仰の場でありますが、見ごたえもあり、公務員的に言えば「眠れる観光資源」といえるのではないでしょうか。

岩井観音堂を後にして、更に山を登っていきました。だんだんに狭くなる道・・・すると、前方でNTTが工事をしていて通行が出来ないじゃないですか。
−どうしよう
と悩んでいると小太りのヘルメットおじさんが走ってきて、「もうすぐ終わるから・・・」と言い戻っていきました。成る程、それほど待たずに工事は終了してトラックがこちらにむかってきました。細い道で、右側はガケなのに!!!
NTT職員が私の車の右側を踏んで、もう少し大丈夫だ、と私の車をほんの少し右に寄せるように促し、トラックは無事すれちがったのでした。
さあ、行こうとした時、先程の小太りヘルメットが「この先は崖崩れで通行止めですよ。知っていますよね。でも用事で行くのですよね」とドキリということを言ったのでした。
「はい」
と答えた私は兎に角、馬頭観音の石仏まで行こうと心に決めて発進しました。
「うつつの清水」と「馬頭観音の石仏」を通り越しましたが駐車スペースがないので致し方ありません。随分登ってしまってから駐車出来、歩いて降りるハメになってしまいました。(トホホ)

ようやくの事で「うつつの清水」に到着しました。

ノドも乾いており「うつつの清水」には期待していたのですが・・・清水どころか水一滴ありません。四角い石の水入れがあるのみです。説明によると、昔は遠くの湧き水を筒で導き、ここで旅人達に供給していたようなのです。もはや、物好きしか通らない世になっては水のないはずですな。
この北国西街道が見直され、ここに水が溢れる日を期待し、今度は「馬頭観音像」を目指して、再び登りだしました。
この街道最大の大きさといわれる馬頭観音の石仏は、なぜか道を背にしてありました。という事は昔の北国西街道は石仏の正面サイドを通っていたのでしょうか。




確かに巨大な石仏です。この立峠越えに難儀した古(いにしえ)の人々を偲びお参り致しました。
さあ、後はどこまで行けるのか・・・ノロノロ運転で立峠を目指しました。