仕事をしていてもフイにいやされる瞬間があります。
たとえば、デジカメの画像をパソコンに取り込もうとしてUSB回線をつなげると、こんな画面が出てきますよね。




私はこの一番下の「何もしない」という選択肢にいやされるのです。未だにコレを選択したことはありませんが・・・
忙しく働くさなかに与えられる「何もしない」という選択肢は、まるでブラックホールのような魅力でクリックをさそってくるのです。(笑)
この画面の一番上には「画像をコピーする」という選択肢があり、通常はこのコピーを選択することが多く、一番下の「何もしない」を見たことのない人も多いのじゃないでしょうか。私も最近になって「フォルダを開く」を使うことが多くなり、この「何もしない」を見る機会が増えているのです。




さて、ふと視線をキーボードにうつすと、アトランダムにアルファベット」や「ひらがな」が並んでいますよね。「ひらがな」の方は滅多に使用しませんが、(たまに人のパソコンを借用して、その人が「ひらがな入力」の時ぐらいですが)このアルファベットの配列はどこから来たのかご存知でしょうか?
これは左上から順番に、Q・W・E・R・T・Yと並んでいることから、QWERTY(クワーティ)と呼ばれているそうです。今から百年以上前の発明家クリストファー・ショールズが自作のタイプライターで素早く入力すると金属のタイプバーが絡まってしまうことに気付きました。そこで、なんとかいい方法はないものかと考えて、キーの配列を変え、続けて入力されるキーすなわちアルファベットを離れて配列したところ、絡まらなくなったということです。そのタイプライターの配列がそのまま、現代のキーボードに受け継がれているんですね。もうタイプバーもなく、絡まる心配もないというのに・・・
それはこのQWERTYが世界標準として定着していたからです。
こうした技術の標準化がないと、外国に出張・旅行する度にそれぞれの国で独自の標準化が進んでいて、戸惑うことになってしまいますよね。こうした標準化は産業革命後、まずフランスではじまりアメリカに渡り、大量生産自動車T型フォードを生み出し、その延長線上に日本のTOYOTAもあるという訳です。
この話のネタ元は講談社選書メチエ 橋本毅彦著「〈標準〉の哲学」という本です。

“標準”の哲学―スタンダード・テクノロジーの三〇〇年 (講談社選書メチエ (235))

“標準”の哲学―スタンダード・テクノロジーの三〇〇年 (講談社選書メチエ (235))


P.S. ではキーボード上の日本語はどうなのでしょううね。QWERTYと同じように左上から読んで「タテイス」とでも呼ばれているのでしょうか? 個人的には「いすかん」が並んでいるところが妙に気になります。やはりイスカンダルという惑星名を生み出したのはこの日本語キーボードなんでしょうか?
それともうひとつ・・・標準化の機会を逃して残念だったのが「漢字」の略字体ですよね。日本と中国がバラバラで進めてしまいました。圧倒的な使用量の差からいずれ中国式略字が国際標準化されるという、懸念も大きいものです。