昨日はお昼に松本へ入り、夜は取引先との会食でした。
いささか飲みすぎ、疲れた寝不足な体をひきずって今日は新潟へと移動です。
言うのは簡単ですが・・・小一時間かけて長野に出て、長野新幹線で高崎まで戻り、上越新幹線で新潟へといびつなNの字を描く大移動ですわ。

長野までは各駅停車、それも座りごこちの悪い座席で結構きついです。てなコト言いながらウトウトしまして、目が覚めたら「姥捨(おばすて)」に停車していました。右手の車窓には善光寺平が一望のもとに広がっています。中央に千曲川が流れ、そこはあの川中島ですよ。突き出た小山が謙信布陣せし妻女山!!
あーなつかしいなあー


1年前まで愛車ストーリアで何度となく走ったところです。中央道の姥捨SAから何度となくこの盆地を見下ろしたものです・・・。
この写真でもほんの少し写っているのですが、プラットホームの下には段々畑、じゃなくて棚田が続いています。いわゆる「田毎の月」の名所であります。


プラットホームに目を移すと「姥捨」の次は「稲荷山」とありました。これまた懐かしい!! 北国西街道の宿場町で昔の姿をよく残している大好きな町です。思わず次で途中下車したくなりました。(まあ、しませんが)
ひとつ手前の駅は・・・「かむりき」漢字で書きますと、「冠着」です。この近くの山中に「冠着荘」という宿泊施設&温泉があり、ここにもストーリアで一風呂浴びに行ったものですよ。

随分ながく電車は停車していましたが、突然逆に走り出しました。事態がのみこめず少し慌てましたが「そうかスイッチバックか!!」と気付くとなんだかうれしくなってきました。「姥捨」駅は高台の斜面にあるため、バックして線路を切り替え、斜めに下りて行くのですね。少しばかり「鉄ちゃん」の気がでてきている二日酔いのオジサンにはたまらないものでありましたよ。
下の写真は以前に訪れた際の「稲荷山」です。北国西街道の裏道で、生糸や絹織物で栄えたこの宿場町を象徴するものです。




そういえば、「姨捨」で思い出したことがありました。
平成10年前後の冬、もう10年前ですなあ・・・群馬の赤城で仕事をしてから、その日のうちに長野の駒ヶ根へ入らねばならないことがありました。
両毛線の岩宿からだったか、高崎に出て新幹線で長野まで出たのはよかったのですが、もう夜遅くて松本までしかいけないことがわかりました。
長野でうろうろして時間をつぶし、終電か、その1本前かの普通で松本へ普通電車で向かいました。
おそらく、その時がはじめての長野−松本乗車でした。なんとか、座れてうとうとし、目が覚めると、しんしんと降る雪の中、「姥捨」に停車していました。
うばすて!!
昔から知っている駅名であり、姥捨て山の伝説につながる地名だけに新鮮な驚きを感じました。
その駅名とを深夜に雪降る中で出会った面白さを味わいました。
そこで思い出したのが・・・
ドナルド・キーンさんの著書です。
終戦後、初めて日本に進駐したキーンさんが東海道線を西へ移動中、目覚めると「関が原」に停車していて、えもいわれぬ感動を得た、という話です。
戦争前から日本文学を研究していたキーンさんにとって「関が原」は当然知っている地名でした。進駐という形での初来日でしたが、その「日本の中の日本」ともいうべき地名に偶然出会えた驚きと感動・・・よくわかりますよね。
私の「姥捨」経験とキーンさんの「関が原」体験・・・似ていませんか?


日本との出会い (中公文庫)