是枝裕和著「歩いても 歩いても」

歩いても歩いても

歩いても歩いても

この間紹介した映画「歩いても 歩いても」の小説版です。著書は監督の是枝裕和・・・。
雑誌パピルス2008年2月号から8月号まで連載されていたものです。通常の映画と並行して出版されるノベライズ本とは違うんですよね。
あの映画は非常に印象が強く、あとあとに「引き」が残る名作なのですが、この本はそのワンシーンワンシーンを忠実に文章としておこしながら、映画では俳優の表情からしか推し量れない心理状態を丁寧に描写していっています。

そもそも、この映画や小説は監督であり作家である是枝氏のおかあさんの逝去という、個人的体験から出発したものなのです。
映画のパンフレットで監督が語っていた「後悔」の念・・・それは大それたものではなく、日常の中で少しずつ積み重ねられてく、「言動」や「行動」に対するものです。
本には冒頭に、そしてその後何度となくリフレインされる一節があります。


『 あれからかなり長い歳月が流れたような気がするけれど、あの時こうしていればとか、今ならもっとこうしてやれたのにとか・・・。未だにそんな感傷に襲われることがしばしばある。その感傷は消え去ることなく、時間とともに淀み、むしろ流れを遮ってしまう。失うことの多かった日々の中で、僕が得たものがひとつだけあるとしたら、人生はいつもちょっとだけ間に合わない―。そんな諦(あきら)めにも似た教訓かも知れない。 』


これは作者(監督)自身がおかあさんの逝去後に強く感じたことでしょうし、映画や小説を書こうと思うにいたった、この連作(映画&小説)の主題でしょうね。

映画は、長男の15回忌に集まるにぎやかな家族を描きだしていますがラストで、その後何年もたたずに頑固ものの父が他界し、その2年後に母も亡くなったというナレーションが静かに入り、お墓参りをする次男家族のシーンで終わります。
私は先のブログで、ラストはいらなかったんじゃないか?と記し、しかしながら監督にとっては必要だったのだろうと追記していますが、この小説自体は冒頭からその父母の死を語り、映画と同様の15回忌の両親の家に移っていきます。
やはり、細部には作者(監督)の母や家族との思い出が濃厚に入り込んでいるに違いなく、これは事実とはズレているとしても、(作者の両親が三浦に住んでおらず、溺死した長兄がいず、子連れの女性と再婚してなかったとしても)この映画&小説は間違いなく是枝裕和の「私小説」なのでしょう。






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この映画&小説についてはまだまだ言及したい細部が多く、またの機会に記すことになろうと思いますが、特筆すべきはこの映画のポスターやパンフレット(本の表紙もです)にイラストを提供している吉實 恵さんです。



これは映画のラスト、次男家族を見送ってから家に戻る老夫婦の姿(ここに静かにナレーションがかぶります)ですが、このイラストも素晴らしいではないですか!!(このイラストは映画の公式HPにあります)
私はこのイラストにも感銘を受けました。この透明感漂うイラストを描く吉實さんの他のイラストも見てみたいものですね。






■ 映画「歩いても 歩いても」に関する散歩堂ブログ
http://d.hatena.ne.jp/sampodow/20080705


■ 映画「歩いても 歩いても」公式HP
http://www.aruitemo.com/index.html