新書対決 「謎とき本能寺の変」VS「本能寺の変 ―光秀の野望と勝算」!!


謎とき本能寺の変 (講談社現代新書)

謎とき本能寺の変 (講談社現代新書)


本能寺の変―光秀の野望と勝算 (学研新書)

本能寺の変―光秀の野望と勝算 (学研新書)

この間の新潟出張時、新幹線の時間を待っている間に駅ビルの本屋さんで、まず学研新書の「本能寺の変」が目にとまり、続いて講談社現代新書の「謎とき本能寺の変」を手に取り、よっしゃ勝負や、と2冊とも購入した次第です。
あっという間に2冊共に読了しましたが・・・さてどちらに軍配は上がったのでしょうか?!

まずは、講談社現代新書藤田達生著「謎とき本能寺の変」を読みました。
この新書は、まず織田信長が目指した「構造改革」とは何か?を探っていきます。すると、その「構造改革」への反対勢力が本能寺の変の首謀者に近いということになる訳ですな。そして豊臣秀吉の、本能寺の変およびその後に果たした役割について述べていこうという段取りですが・・・いやあ、面白かった!! 本を読んでスグに信じるというのはどうかと思いますが非常にわかりやすい「謎とき」でしたな。
我々が教えられた足利幕府の滅亡は元亀4(1573)年7月に15代将軍足利義昭が京都より落ちた時でしたが、この新書では義昭が西国に落ち延びてからも毛利輝元の庇護の元、輝元を副将軍とした鞆幕府(広島県福山市)として幕府は存続していたという立場をとり、明智光秀に義昭側に寝返ったという説を披瀝しています。
寝返った理由は複数ありますが、ひとつは信長が近畿周辺の領地を親族近習に分け与え、光秀達は遠方に領地替えになるに伴い政権中枢から追い出されそうであったこと、またひとつは信長の四国政策が長宗我部との同盟という光秀案から反長宗我部という秀吉案に切り替わったこと、更にもうひとつが「三職推任問題」と言って、信長が朝廷サイドより太政大臣・関白・征夷大将軍のうちどれかを授けるとい提案を保留していましたが、その回答が迫っていたこと・・・もし、征夷大将軍を受けたら足利義昭の立場がなくなるというものです。
最後にこの本はこう締めくくります。
本能寺の変による信長の改革の挫折は、のちの江戸幕府の朝廷政策はもとより、幕末・維新の改革、さらには第二次大戦後の占領軍による民主化のありかたにまで影響を与えたのではなかろうか。権威構造を根底から変える大変革は、信長以降、今日に至るまで、ついに試みられることはなかったのである。(後略)』


さてさて、もう一冊の学研新書樋口晴彦著「本能寺の変」は小泉元首相が愛読していことで有名になった「信長の棺」での朝廷黒幕説や、「謎とき」の足利義昭首謀説を笑い飛ばす立場をとり、本能寺の変から山崎の戦いまでの流れを近江・大坂・旧武田領・中部北陸とそれぞれの地域がどう動いたかを描いていきます。
明智光秀は牢人してようやく越前朝倉家に召抱えられたのに、どうころぶかもしれない流浪の将軍足利義昭の家臣に転職するという、今風に言えば「ハイリスク・ハイリターン」型の「ほりえモン」のような武将であり、その光秀にとって京の近くに自ら大軍を擁し、信長は嫡男信忠と共に少ない家臣と共に京に滞在しているこの時こそ、まさに乾坤一擲!! 変を起す時であり、彼はソレに賭けたのだと・・・ ふ〜ん・・・
著者はなんと警察のキャリア官僚で現警察大学校警察政策研究センター教授!!
ところどころで独断的な読解を披瀝する部分もあり閉口させられますが・・・まあ、面白い。なによりモノクロながら図版(地図や写真)がいいですね。地図もその部分が日本列島のどの部分にあたるのかを提示しているところがスゴい!!
ラストの「あとがき」で現在の機動隊の防具が戦国時代の鎧武者とそっくりであり、機動隊の部隊運用のやり方も、足軽の集団戦術と実によく似ている、と語るあたりは現職だけに説得力がありますなあ・・・

そして、軍配は・・・
「謎とき本能寺の変」にあがりました!!

しかしもう一冊、読まねばならない新書があるようです。

洋泉社新書の鈴木真哉藤本正行共著「信長は謀略で殺されたのか 本能寺の変・謀略説を嗤う」