東京駅でのテロ現場

東京駅もよう利用します。
仕事でも遊びでも東京駅で外に出ることもあれば、新幹線に乗り換えて更に遠いところに行く、という具合に年がら年中利用させてもらっていますが、中央コンコースから東海道新幹線に乗り換える場所にある柱に一枚のプレートがはめ込まれているのをご存知でしょうか?


東海道新幹線改札方面から中央コンコース側を向いたところ、画面の左側が中央コンコースで東海道線や山手線への階段が並んでいるところです。そこにあるプレート・・・それはこの場所が昭和初期には東海道線のプラットホームであった証拠でもあるのです。


「昭和5(1930)年11月14日 午前8時58分、内閣総理大臣浜口雄幸は、岡山県下の陸軍特別大演習参観のため、午前9時発の特急「つばめ」号の1号車に向かってプラットホームを歩いていた。このとき、一発の銃声がおこり浜口首相は腹部をあさえてうずくまった。かけつけた医師の手によって応急手当が加えられ、東京帝国大学医学部付属病院で手術を受け、一時は快方に向かったが翌昭和6年8月26日死去した。犯人は、立憲民政党の浜口内閣が、ロンドン条約批准問題などで軍部の圧力に抵抗したことに不満を抱き、凶行におよんだものといわれている。」

この地でテロが行われたのですね。このロンドン軍縮条約がきっかけで昭和7年には海軍青年将校による5・15事件へと繫がっていく、いわばテロの先鞭をつけた事件ともいえるのです。


浜口雄幸首相はその容貌からライオン宰相と綽名され、ロンドン軍縮条約締結の推進や、井上準之助を大蔵大臣に起用し金本位制に戻すなど辣腕を振るいました。そうそう、時代感覚でわかっていただくには・・・浜口内閣の逓信大臣が小泉純一郎元首相のお祖父さんでした。余計わからなくなりましたか?

浜口雄幸の人生を描いた城山三郎の好著「男子の本懐」がベストセラーになったのも今となっては懐かしい話ですね。確かNHKでドラマ化されたハズです。

男子の本懐 (新潮文庫)

男子の本懐 (新潮文庫)