白寿のお祝い

今日は阪急茨木市駅まで、親戚の大伯父さんの白寿のお祝いに行ってまいりました。
1910年3月23日生まれ
驚いたことに、あの世界のクロサワと全く生年月日が同じなんですね。
愛媛新居浜別子銅山で生まれ、戦時中は陸軍技官として大阪京橋にあった砲兵工廠で働いておられました。
別子銅山のことや古代史のこと等、幅広く興味を持ち色々と熱心に調べておられて、随分教えていただいたことも多いのです。
今から15年程前には愛媛県新居浜市から山へと分け入った別子の地にご一緒する機会にも恵まれて貴重な体験もさせていただきました。当時85歳の大伯父は元気に我々を引率して別子銅山址を案内してくれたものです。(ほんと恐るべきパワーだ!!)
今日はケーキや花を持参すると共に、この1月に皇居前広場で撮影した一枚の写真引き伸ばして印刷し持参しました。


高村光雲作の楠正成像の後ろ姿です。
ここにはめられた銅版をお見せしたかったのですね。そこにはこう書かれています。

目臣祖先友信開伊
予別子山銅坑子
孫継業二百季亡
兄友忠深感國恩
欲用其銅鋳造楠公
正成像献之閣下
蒙允未果臣継其志
薫工事及功竣謹献

明治三十年一月

従五位住友吉左衛門謹識


祖先の友信は伊予の別子銅山を開き、子孫で業として二百年継いできたが、亡き兄友忠は深く国の恩を感じ、この銅を使用して楠正成像を鋳造して献じようとしていたが、允(ゆるし)を蒙り未だ果たせずにいたのを、その意志を継いでここに工事し、竣工した。謹んで献ずる。

大伯父に手渡したところ、大いに喜んでもらえてホッとしました。
茨木市の団地で92歳になられる伯母さんと二人でゆっくりと生活をされているのですが、いつまでも元気でいたください、と祈らずにはおられませんでした。


大伯父は今でも記憶力は素晴らしく戦前に荻窪に親戚を訪ねて行った話を熱をこめて語ってくれました。
当時の首相近衛文麿の邸宅荻外荘(てきがいそう)の先をまがった所に住んでいた親戚…大伯父の母の弟、私にとっては曾祖母の弟は三井財閥に入り異例の出世を遂げ役員にまで登りつめたそうです。初めて聞く話に驚きましたが、さらに驚いたことにはその方は先輩の役員の方々の家へ役員就任のお礼の挨拶に廻っている際中、皇居前で鉄骨を積載したトラックに後ろから追突され無念にも落命されてしまったんだそうです!!
大伯父さんは「あの人が生きていたら私達ももう少しましな生活が出来たやろなあ」と笑っていました。
その5親等離れた人の話しなんか、こうして大伯父さんに聞かないと全く知らないままでしたからねえ…
まあ、知ったところで何も変わりはないのですが…