石田家の謎

池田の実家の近く(といっても歩いて15分程はあるんですが)に、一乗院という古いお寺があります。
平安末から鎌倉初期の仏像が二体あるそのお寺を、この土曜日に久し振りに散歩で訪れました。


まあ、今どきなんでしょうね。広い駐車場がつくられて、子供の頃に広く感じられた境内は狭くなっておりましたが、その隅にひとつの石碑がありました。

■和組HP

見えにくいなあ・・・
ここにはこう刻まれています。
『石田光成軍旗塚』

話は少し飛びますが、この一乗院がある鉢塚(昔は尊鉢と言っていました)一体には石田姓の家がやたらに多いのですよ。
その石田家には2系統あり、そのひとつは石田光成の一族が隠れ住んだという言い伝えと系図が残されているのです。そこで、この石碑に繋がる訳ですが・・・関ヶ原の戦い敗戦後に、山奥でもなんでもない池田の地に隠れるなんて大胆ですよね。
この石碑の下に軍旗を埋めたという訳ですね。持っていたら危ないからなあ。でも出来れば持っていて欲しかったです。石田光成勢の軍旗といえば、

大一大万大吉

という文字の変わったものでした。
どんなモノかといえば・・・いろいろ探しますと戦国好きの方向けSHOPでTシャツを売ってました。
どういう人が買うのかねえ・・・まあ、私みたいな人が買うのですが・・・(笑)

http://www.wagumi.com/SHOP/T63.html

まあ、こんな一風変わった旗印だったのですな。

さてさて、鉢塚の石田一族もう一方は・・・これも系図が残されていますが、
なんと祖先は楊貴妃なのでした!!!
楊貴妃が祖先って・・・玄宗皇帝の子孫ってことですかね。
池田には織物伝来の綾羽姫呉服(くれは)姫伝説があり、兵庫県との県境になっている猪名川には唐の船が遡上して来ていたという伝説もこれまたある訳なのですが・・・
なんとも夢のある話ではあります。

追記
3月24日(火)の朝日新聞夕刊に「日本一の古戦場」を読者投票で決定する特集がありました。
1位はダントツで関が原
2位川中島、3位桶狭間、4位本能寺?、5位厳島毛利元就の古戦場ですね)、6位賤ケ岳(しずがたけ)、7位長篠・・・と続いています。
その特集記事は「いまの人気は三成が圧勝」との題がありました。
関が原の三成本陣跡の笹尾山を訪ねる人は多いけれど、家康本陣桃配山にはほとんど人が来ないとか・・・
関ヶ原町歴史民族資料館の売店では、三成の家紋「大一大万大吉」をあしらったぐい飲みや湯のみ、携帯電話ストラップなどが売れ筋、三成の軍師・島左近など、総じて西軍の武将の人気が高い。判官びいきのようなものだろうか。』
と書かれています。確かに私も三成にひかれますね。あのTシャツも売れているのかなあ・・・