熱海ブラブラ

昨夜はとある組織からの脱退を祝う飲み会があり、どうも極端なビール好きと勘違いされていて(もっとも勘違いされるだけの事はしたのだが)、私の回りにはビール瓶が乱立していた。場を盛り上げて、サッと一次会で抜けられたが一抹の寂しさと、それを覆って余りある解放感が私を軽い躁状態とし、遅くまで寝付けなかったのだった。

で、一夜明けると人並みにGWへ突入していた。軽く掃除や片付けをし、昼には外出。母の喜寿行事の熱海バカンスである。弟の弥(わたる)の会社保養所に泊まるのだが、今時保養所がある会社もあるんやね。
何をするのやら弟任せで、どうなと信濃善光寺さんである。



熱海で母と弥一家と合流し、海光町のリゾートマンションへ・・・  なるほど保養所とはリゾートマンションだったのか。なかなか眺めの良いところだ。沖に初島が浮かんでいる。


夕方ひとり散歩にでた。とりあえず熱海市内を目指して歩いていると、ふと小津安二郎の「東京物語」を思い出した。
今回の熱海行きで、私として心にひっかかっていたのは志賀直哉・・・直哉は戦後、熱海大洞台に住み、同じく熱海に住んでいた広津和郎らと交遊していた。広津が「松山事件」に入れ込んでいた時、直哉が肩入れしていたのも、この熱海時代となる。
ただ、情報が少ない。ただ、大洞台というところが湯河原寄りの相当東へ行ったところなので、今回は探索するのがむずかしいかもしれない、と思っていました。

そんな時に思い出したのは直哉を畏敬する小津安二郎の「東京物語」なんですね。直哉が下宿していた尾道から始まり、その尾道に終わる物語の途中、老夫婦(笠智衆東山千栄子)が熱海に一泊旅行するんですね。息子(山村聰)や娘(杉村春子)に厄介者扱いされての旅行でしたが、若者が多くにぎやかで寝付けないまま朝を向かえ、熱海の岸壁で「尾道へ帰りましょう」とつぶやくシーンは印象深いものでした。(そのシーンを少し描いてみました。)
そういえば、このシーンに熱海が選ばれたのも、直哉が住んでいた地であったからなのかもしれません。余り語られたことがない小さな思い付きに少しワクワクしながら、その岸壁を探しに市内への道をくだっていきました。
しかしね。考えてみると、もはや熱海は昭和の温泉街ではなかったのですよ。リゾート地に生まれ変わろうとして脱皮に失敗したような街、とは言い過ぎですが、少なくとも温泉街の余韻は貫一お宮の銅像と歩道にあった温泉街を描いた絵しかありませんでした。


かって老夫婦が座っていた岸壁は跡形もなく、そこにはリゾート地を目指し、大量の資本と大量の砂を投入したビーチと化していました。まあ、ええけどね。(しかしながら熱海におけるGWのメインイベントが阿波踊りっちゅうのが悲しい性やね。)


貫一お宮と浜辺を観光してマンションへと戻った次第です。
夜は街中の料理屋に繰り出して海鮮丼をいただきやした。店は熱海では有名な「季人喜人(きときと)」

入り口の有名人サイン攻撃に参りました。(三船敏郎赤塚不二夫でっせ!!)