桜田門から国立劇場・国立演芸場へ

さあ、国会議事堂から皇居のお濠端を桜田門へ向かいます。
桜田門といえば警視庁!!となりますが、「もうひとつ」と問えば、みなさん「桜田門外の変」と答えてくれるんじゃないかなあ・・・違う?
万延元(1860)年3月3日、今の国会前にあった屋敷から確か雛祭りの行事で、雪の中を江戸城に登城する大老井伊直弼水戸藩浪士等が襲撃、暗殺した大事件。

この桜田門の外門の外で事件は発生したのでした!!
尊皇攘夷という事で、朝廷に諮らずに開国した井伊大老を暗殺した水戸藩浪士ですが、幕末も時が進むと「尊王」だけが残って「攘夷」が飛んでしまったのは皮肉な事です。
桜田門に向かう橋の上から日比谷濠の方(南)を望めば、濠の向こうにGHQの占領司令部が入っていた第一生命館が見えます。その上に高く聳えているのはDNタワーです。

さあ、桜田門を入りましょう。入ると皇居前広場です。振り返ると・・・桜田門の大きいことといったら・・・

門の下の石垣が美しかったですよ。ビタッと隙間なく造られた石垣はまるで現代美術の作品のようです。

どうですか? ジッと眺めていると息が詰まりそうです。まるで隙間を作ってしまったら処罰されるかのような脅迫観念に襲われて造りあげたような石垣・・・同じ形に石を切り出したらもっと楽だったでしょうに、大小様々且つ色も様々な石を組み上げた職人芸は敬服に値しますね!!
もう少しゆっくりと皇居前広場を散歩しようかと思ってましたが、少し雨が降り出しました。急いで国立演芸場に戻らねば!!
警視庁と桜田通りを挟んでれんが造りの建物が残されています。

法務省赤れんが館です。現在では「法務史料資料室」になっていますが、明治28(1895)年竣工した司法省の建物でした。戦災で外壁を残して焼け落ちましたが、現在は重要文化財となっています。
国会前の信号を渡った処に、井伊掃部頭(かもんのかみ)屋敷跡の碑と「桜の井」がありました。この井戸は井伊家の表門の外にあり、江戸の名水として名高かったそうです。また、この屋敷跡は井伊家の前には加藤清正の屋敷があった場所であり、また戦前には陸軍省があった場所でもあるのです。どうも、ここは権力者の住まう場所だったようですねえ・・・

このあたりが三宅坂です。青山通りを越えると最高裁判所が暑苦しく迫ってきますが、その角に芝居の舞台でもなりそうな一角がありました。





「平和の像」


どうも日本の彫刻家は「平和」というと裸婦像を作ってしまうようですが・・・いかがなもんでしょうねえ(苦笑)
裸婦像の向こうにうっすらと見えているのが最高裁の建物ですが・・・


どうもこの建築はよくないんですよねえ・・・  なによりも威圧的!!! なんでも跳ね返してしまいそうな、とりつくしまを与えないような、親しみを抱けないNO GOODな建物だと私は思いますよ。

写真にも警官が写りこんでいるように、まあこの辺りは日本の中枢ですからなあ・・・いたしかたないものの警官だらけなワケです。
この辺り、最高裁国立劇場がある辺りは「隼町(はやぶさちょう)」とい町で、その名前は徳川家康鷹匠の屋敷を置いたからのようですね。
この最高裁に守られるように、その北側にあるのが国立劇場・・・こことは未だご縁がございませんがね。なかなかに良い建物ではありませんか!!

この日は6月歌舞伎鑑賞教室「華果西遊記」という興行が行われていました。
国立演芸場はこの国立劇場の後ろ、(というか、実は国立劇場の一部なんですが、)まるで国立劇場のシッポのような部分にあるのでした・・・。
はいはい、どうせ歌舞伎に比べれば演芸はシッポでございますよっ!!!って言いたくなるじゃございませんかい!!!


松本に転勤する前の東京西荻時代は上司から国立演芸場のチケットを時々いただいたので何度か来たものです。最後に来たのは調べたところ・・・2003年3月23日(日)の第253回国立名人会「小朝の愛する人々」。現きく蔵の林家きくおが開口一番で、モノマネの前田健、二丁拳銃、一輪車のMrボールドに落語家の柳家小せん、小朝、上方大御所の3代目春団治という顔ぶれでした。
ハゲ頭に客席から投げてもらった吸盤付きの羽根を受け止めるMrボールドがバカバカしくて面白かった記憶が残っています。(笑)








赤丸・・・右より桜田門法務省赤れんが棟・井伊掃部頭屋敷跡碑・平和の像・国立演芸場