玉造界隈うろちょろ

昨日は太融寺さんから梅田へ出て、JRで玉造へ向かいました。
梅田や玉造でも面白いもんをいくつか見ましたが、それはおいおい使用する小ネタとしてタンスにしまっておきまして、今回は単刀直入に目的地へ・・・

環状線の玉造・・・地名の通り古くから人が住んでいたところですわな。駅の北側には長堀通りが東西に走っております。 そうそう、あの秋田の夏祭りの「竿燈」はもともとココ玉造の祭りだった筈です。今では規模が違いすぎますがね…。
昨日の千朝師の「小倉船」が西の旅なら東の旅はお伊勢参り!!
「大阪離れてはや玉造、二軒茶屋と申しまして、桝屋芳兵衛、鶴屋秀次郎という二軒の茶店がございました。」
と落語冒頭に出てくるのがココなんですなあ・・・お伊勢参りを見送る人々はここまで来て、この道の両側にあった2軒の茶屋のどちらかに入り「酢いい酒の一杯も飲み交わして」別れたんですな。今となっては石碑があるのみですが落語好きには堪らない場所であります。


ここから更に東へ東へ…途中に暗がり峠へと向かう街道がこの長堀通りから分岐してましてその道に入りながらも東へ東へ、疲れた頃に現れたらのが大阪府の東成区役所です。

今風の区役所の手前にある駐車場。丁度自転車に乗った人が通りかかっている当りに小さな石碑があるのがおわかりか?
 わからんじゃろうなあ…


昨年秋に5代目桂米団治が誕生しましたが、この地は4代目米団治師が住んでおられたところで、副業として今で言うところの行政書士、当時で言えば代書業をされていたところでもあるのです。この小さな石碑はその顕彰碑なのです。
石碑はつい最近、5代目と米朝師匠を招いて除幕式があったばかりの出来立てホヤホヤです。
4代目が副業の経験から創作した「代書屋」はいまや東西でやられる古典となっています。そのマクラに出てくる4代目作の川柳「儲かった日も 代書屋の同じ顔」が右側に刻まれ、中央に結び柏紋と四代目桂米団治が大きく書かれ、左には「中濱代書事務所之地」とありました。
この駐車場や区役所の建物では往時を偲ぶ縁もありませんが一歩長堀通りから路地を入っていくと昔と変わらぬ家並みが残っているのでした。


4代目の家には弟子であった米朝師匠も当然何度となく来られ泊まられた事でしょうし、さんまさんの師匠、笑福亭松之助師も一時お住まいだったようです。
この写真の一軒が中濱代書事務所だったと考えれば色々と想像が膨らむというものです。

古き佇まいは路地だけではなく、上の写真のように長堀通りにも古くからの商家が幾つも残っておりました。「サシ マス はかり」の製作所とあります。壁は黒タイル張りとおしゃれなもんでした。


平野川が淀むこの地に再訪を期し帰りました。

その夜は石橋の馴染みの居酒屋「ちりとてちん」へ雀三郎師のCD手土産に顔をだし、落語談義に楽しい一時を過ごしました。
来月に迫った「社会人落語日本一決定戦」!!

大将が戦国武将のように幟を持ってくださいましたが、大将は「看板の一」で女将さんは「子ほめ」で決勝進出を目指されます。
8月15日、私もおっとり刀で駆け付けて「手堅く!!」とでも掛け声させていただこうかと考えております。