た・か・く・ら

た・か・く・ら

ながいと思っていた正月休みももう終わり・・・という事で東京に空路戻ってきました。
伊丹空港での待ち時間に立ち寄った売店でふと手にとり、衝撃受けて買い求め、帰宅前までに一気に読了しました。
嘉門達夫おそるべし・・・

この本の主人公である高倉さんは、この小説の中でも取り上げられたNHK-BSの「熱中時間」に出演された際にご尊顔を拝見したことがありました。その時の番組は大阪万博でバッチ集めに熱中した嘉門達夫と、その際嘉門を抜いてバッチ数一位の座に輝いた高倉さんが、「愛・地球博」において再度バッチ集め競争をするというものでした。嘉門にしたら30年振りのリベンジです。ネーミュバリューも生かして見事勝利をおさめていましたが、この本によると、その後も何度か嘉門達夫愛・地球博のイベントに呼ばれた際には高倉さんにも声を掛けてバッチ集めを続けたようです。

「バッジ」ではなく「バッチ」と書きましたが、この本の中では子供時代には「バッチ」と言っていたという説明部分があり、以降ずっとバッチと表現されています。かくいう私も「バッジ」を「バッチ! バッチ!」と叫んでいたもんです。
嘉門達夫が茨木で万博に熱をあげていた頃、少し離れた池田で私も発熱していました。
嘉門達夫や高倉さんの家同様、我が家にも多くの親戚が泊まりに来ては万博に繰り出しました。本にもある通り、その頃はホテルに宿泊するというのは一般的じゃなかったんですね。
私も学校から行った分も含め計16回も万博に行きました!!
ガイドブックに外国人の方のサインを集め、各パビリオンのパンフレットを集め、バッチを集めていました。華々しい未来への夢がそこにはありました。私は訳もわからぬまま、モルモン教館にまで入りましたが、ただひとつ「虹の塔」にだけ入れませんでした。(「虹の塔」は専売公社のパビリオンで時間毎の入場で煙のショーをやっていました。時間が合わなかったんですね。)

この本のカバーを見てください。これ等は高倉さんが集めた大阪万博のバッチです。中央右端の水色のまんまるなのはアルゼンチン館、その下の丸いにはソ連館・・・私も持っていました。

この本はそんな嘉門達夫の親友である高倉さんから一本の電話が入るところから始まります。

「おう、タークラ、どないしたんや」
「肺ガンで余命3ヵ月と宣告されてん」

今は本を見ながらじゃないので、若干違うとは思いますが、まあこんな感じです。
ガンに侵された親友と嘉門達夫等友人の交流が陽気に展開していくのですが、やはり結末は悲しいよね。
とはいっても読後感はスッキリしていてナカナカのものでした。

嘉門達夫は1959年3月生まれと、私より2学年先輩ですが、少年の頃同じ空気を吸っていたんやなあ〜という感じでなつかしく、それ以上に我々も歳をとったんやなあ−という感慨が浮かぶのでした。高倉氏のハチャメチャな病人振りと、それに振り回される友人達・・・
こんな贅沢な空気は残念ながら私のまわりにはおませんなあ・・・

是非ご一読あれ!!
そうそう、カバーの全体写真が手に入ったんで載せます。