茺田研吾著「三国一朗の世界」

三国一朗・・・といってもご存知でない方が多いかもしれませんね。

三國一朗の世界―あるマルチ放送タレントの昭和史

三國一朗の世界―あるマルチ放送タレントの昭和史

この本を読了したのですが、三国一朗さんは上の本の表紙真ん中でメガネをかけて笑っている方ですね。
この本巻末の年表を見ますと、1975年にNHKで放映されたドラマ「新・坊ちゃん」の狸校長役が私にとっては思い出深いです。そして晩年は・・・日曜お昼のお楽しみ、NHKの「お好み演芸会」で林家三平桂枝雀が出演していた大喜利の司会をされていたのがなつかしく思い出されます。のんびりとした、どこかノホホンとした独特の雰囲気はなかなか結構なものでした。
年表によると、朝ドラや銀河テレビ小説によく出演されていますねえ・・・またNHK特集のナレーターもよくやられています。
この本にも記載されていましたが、テレビ草創期にはマルチタレントとして民放にも重宝されたものの、どんどん新人が出てきて、ずっと使ってくれたのはNHKだけになってしまっていたようです。
いくつかの本も出されていて、壮年期からかかわられた昭和史関連の著述も多く、私の手元には岩波新書「戦時用語集」が残っています。これは戦時中にマスコミや世間で使われ、いまや死語になっている用語を解説したものですね。
他に「私は司会者」「私のきりぬき帖 ハサミとのり」「ことばのある風景」など多くあり、一度読んでみたいものです。

元々はクロサワの「我が青春に悔いなし」の脚本家でもある劇作家・久坂栄二郎に、続いて「ブーフーウー」の飯沢匡に師事されて、何本かの劇も書かれました。
しかし、もうひとつの出来だったようで、新婚生活を支えるために心機一転、アサヒビールに宣伝担当として入社されて人生は大きく梶をきっていくことになります。
その宣伝活動の一端としてラジオ東京の「イングリシュ・アワー」のパーソナリティをされました。これが日本のラジオパーソナリティの創始といえるんですね。
続いて、テレビ放送が開始されると、アサヒビールの「ほろにがショー 何でもやりまショー」という後の「どっきりカメラ」に引き継がれるようなバラエティ番組の司会者として人気者になっていったのでした。
ただ、先にも書いたように、新しいキャラクターに押されて出演の機会はどんどん減少、壮年期には東京12チャンネルの「私の昭和史」の司会を引き受けたことから昭和史といえば三国一朗と称されるタレントとなり、昭和史関連のNHK特集などにナレーターとして多くかかわられたのでした。

三国さんはタレントの先輩として徳川夢声を敬愛し、「徳川夢声の世界」という大著を出版されています。この「三国一朗の世界」の著者茺田研吾氏は先に「徳川夢声と出会った」という著作を出されていて、夢声(念のため記載しますが、「むせい」ですからね ※)を追ううちに三国さんが気になってきたそうです。
忘れ去られようとしている三国一朗という存在にもう一度スポットライトをあてた意義は大きいのではないでしょうか?
戦後のマスコミ、企業広報紙やラジオ・テレビを語るうえで三国一朗が大きい存在であるということを改めて認識させてもらえました。
興味のある方はご一読ください♪