保阪正康著「あの戦争は何だったのか」

あの戦争は何だったのか: 大人のための歴史教科書 (新潮新書)

あの戦争は何だったのか: 大人のための歴史教科書 (新潮新書)

本年2冊目の読了はこの新書となりました。
保阪正康著「あの戦争は何だったのか」
副題に「大人のための歴史教科書」と書かれているように、あの太平洋戦争を勉強するにはまたとない素晴らしい新書でした。私は若い頃、中公文庫から出ていた児島譲の「太平洋戦争 上・下」で戦争通史を学びましたが、より手短に全体像がつかめる好著として、この新書は是非多くの方に読んでもらいたいと思います。
最後に昭和6(1931)年9月の満州事変勃発から昭和21(1945)年5月の東京国際軍事裁判開廷に至るまでの年表がついているのもいいですね。
この本はその年表を入れて全251ページ、前半の約100ページが開戦に至った経過に割かれ、次の100ページ超が太平洋戦争の記述にあてられています。
冒頭には軍の構成が詳しく説明されています。「軍政」と「軍令」の違いに始まり、陸海軍の職業軍人の養成機関の説明、ついで軍の構成・・・陸軍であれば小隊・中隊・大隊・連隊・師団という兵員構成、海軍であれば艦隊構成が説明されています。ただ、連隊と聞いても、どれくらいの兵がいるのかわかりませんが、この本を読むと平時で2,000人規模で、成る程連隊長とはなかなかえらいものなんだな、と実感できるのです。
ついで、「2・26事件」よりの開戦への道が語られ、太平洋戦争へと突入していくのです。
兵站(食糧・弾薬等の補給)を無視した稚拙な戦術であったガダルカナル島の攻防や、インドビルマ国境で展開されたインパール作戦で多くの兵が敵の爆弾の為ではなく、飢えや病気で亡くなっていきました。
また、東條英樹がとなえた「戦陣訓」にある「生きて虜囚の辱を受けず・・・」により多くの兵、場合によっては民間人までもが玉砕していきました。

驚いた事実もいくつかありました。なんと徴兵の際の「所在不明と逃亡者」が昭和17年で9千名近くもいたそうです。また、ガダルカナルのジャングルで何人かの日本兵が固まって移動していると、狙い済ましたように爆撃され、「何故だろう?」と不思議に思っていたところ、戦後になって米軍がジャングル中にマイクロフォンを仕掛けていて居場所を発見されていたことがわかったそうです。

また、この本で目新しい点は開戦の責任の所在を従来の「陸軍」から「海軍」としたことですね。
関東軍の暴走で始まった日中戦争、陸軍主導の政治・・・その先におこったこの戦争は、海軍はいやいやながらも引きずられていったのだ、というのが従来多く語られていたストーリーです。
特に米内光政・山本五十六・井上成美という日独伊三国軍事同盟に徹底的に反対し、米英との戦争にも反対していた海軍トップにスポットライトがあたっていますが、多くの海軍軍人は陸軍のみ手柄をあげる戦局にイラだち、開戦を強く望んでいたんですね。
確かに海軍が断固反対!!を続けていたら、陸軍だけでは太平洋戦争は出来ませんからね・・・

石油の備蓄は後2年しかない、という開戦理由がまやかしに近いものであったという驚きの話や、日本では8月15日を終戦記念日としていますが、外国では日本政府が東京湾の戦艦ミズーリ上で降伏文書に調印した9月2日を終戦の日としているというのも初めて知った話でした。

この無謀な戦争をはじめ、終わり方もロクに考えず、戦略なきまま場当たりの戦術に終始した陸海軍の官僚の為に300万人からの日本人が命を落としたのかと思うと、絶句するしかありません。

しかしながら、今の政府も全く同じ状態であるということも確かですね。これからの不況をどのようにしのごうと考えているのでしょうか? 一人当たり6,000円だか8,000円を支払って終わりなんでしょうか・・・