今日の主目的はこの資料館にありました。
家の近くの宮前図書館のポスターで今開催されている特別展示を知りました。

二・二六事件の現場 渡邉鍵太郎邸と柳井平八』
去年2月、杉並区上荻の邸宅がひとつ取り壊されました。
それが二・二六事件で襲撃された渡邉鍵太郎邸だったのです。解体にあたり、邸宅の部材が一部杉並区に寄贈され、この展示会につながりました。
ポスター左のモノクロ写真が襲撃を受けた渡邉邸玄関の写真です。右が時の陸軍教育総監渡邉錠太郎大将、その下が渡邉邸を設計した陸軍建築技師柳井平八です。一番下の写真が取り壊された渡辺邸・・・信州の本棟造りのような外観ですね。
取り壊し時に、屋根裏に棟札のあるのが見つかりまして、設計者が柳井平八、工事請負が大阪の藤木工務店(岡山倉敷の大原美術館を施工)ということがわかりました。その時点では「柳井平八」という設計者がどういう人物なのかわからなかったのですが、このニュースが報道されるとご家族から区に連絡があり、陸軍建築技師だったことがわかったのです。
柳井平八は今は箱根強羅花壇になっている旧閑院宮別邸や靖国神社遊就館などを設計していました。

これが復元された渡邉邸の玄関です。
ここから反乱軍は突入してきたのですね。
なぜ、渡邉が狙われたのか・・・
簡単にまとめてみますと、まず陸軍内の皇道派と統制派の対立があり、皇道派のボスである真崎甚三郎を追い出す形で統制派の渡邉錠太郎が陸軍教育総監に就任し、改革を押し進めていたことがひとつ、更に渡邉が美濃部達吉の「天皇機関説」を擁護する発言をし、皇道派軍人の逆鱗に触れていたことがもうひとつの理由とされています。
だいたい、真崎こそ二・二六事件の黒幕と言われていますからね。
反乱軍は、ピストルで抵抗する渡邉に対して機関銃を浴びせて即死させています。

ポスターの写真で襲撃された玄関の上部に黒くて丸いものが写っていますよね。それが上の写真左側のものなんです。ドイツ駐在時に射撃大会で優勝した記念品です。陸軍内でも渡辺は射撃の名手として知られていたんだそうです。それで反乱軍は機関銃なんかを持ち出した訳なんですが、その機関銃の陸軍導入を主張したのがこの渡邉錠太郎というのがなんとも皮肉なことですよね。
(この丸いのが的で、いくつも銃弾が突き刺さっているのがwかると思います。)

外に出ると・・・
今頃になって日が差してきているのでした。