森英介著「風天 渥美清のうた」を読む

緊縮財政ゆえ図書館で本を借りることが増えました。これもその一冊です。


風天 渥美清のうた

風天 渥美清のうた



お遍路が一列に行く虹の中

車寅次郎こと渥美清の代表作とされている一句です。講談社「カラー版新日本大歳時記」にも選ばれています。
彼、渥美清は風天(フーテン)と号し俳句を読んでいました。
著者は没後アエラで特集された渥美「風天」の俳句に興味を持ち、渥美清が卒業した「旧志村第一尋常小学校」や信州小諸の「渥美清こもろ寅さん会館」等を訪ね、彼の俳句が他に残されてていないか調べていきます。他にも交流のあった多くの方のもとも訪ねています。
カメラマン浅井慎平(一緒にアフリカで写っている写真がいいですね)、脚本家早坂暁小沢昭一等々の著名人や、渥美清が若き日に結核を患い、入院していた結核療養所で仲良くして「ボンズ」とあだ名で呼んでいた梅村さん達が登場し、素顔の渥美清=風天=田所康雄(本名)を語っていきます。
この本は彼の俳句を探しながらも、結局は彼の表には出さなかった田所康雄としての素の姿を追っていることになっているワケですね。
当初、アエラに記載された句はアエラ1991年新年合併号の表紙写真撮影時にカメラマンの坂田栄一郎が「アエラ句会に参加されませんか?」と声を掛けてみたところ、思いがけずに顔を出し、91年10月から94年6月までの3年近く参加した際の45句でした。
探していくと、その他にも昔時代をリードした雑誌のひとつである「話の特集」の句会「話の特集句会」や、その仲間がはじめた「トリの会」という句会、さらにそこから派生した「たまご句会」にも参加していて計218句が確認されたのでした。
(1991年新年合併号の表紙は今でもよく覚えています。アエラの文字がゴールドで白い背景に佇む渥美清の姿はなかなかシャレたものでありました。)
脚本家の早坂暁さんによると、渥美「風天」清は尾崎放哉(ほうさい)や種田山頭火のドラマを作りたくて、一緒にロケハンをしていたそうですから、もともと俳句には興味があったのでしょうね。彼「風天」の俳句には放哉や山頭火風の作品も多く見受けられます。
私が選んだ「風天」の秀句は以下の通りです。


散歩堂選



山吹キイロひまわりキイロたくわんキイロで生きる楽しさ



新聞紙通して秋刀魚のうねりかな



乱歩読む窓ガラスに蝸牛



そば食らう歯のない婆(ひと)や夜の駅



がばがばと音おそろしき鯉のぼり






やはり選ぶというのはむずかしいですね。200を超える句を15句までにしぼり、そこから5つを選んだのですが・・・また機会があれば紹介させていただきますね♪