谷中散歩 その2 朝倉彫塑館編

養福寺を出てから、まっすぐ南へ向かいました。
スグに昔風の民家がありました。おもむきがあっていいですなあ・・・

古くてきたないだけやん、なんて言うなかれ、ジワジワとコンブのダシのような味を街中に放散しているんですよ。こんな家なくなる時はあっという間ですよ。次に散歩に来たら、影も形もなくなっていることもありえますね。

こんなブリキ屋なんていう響きも懐かしい店までありました。緑青を吹いた銅板が美しい!!

さてさて、
この道を日差し感じつつ歩いていて、突き当たったのが日暮里駅前の広い道、右に行くと道は狭くなってスグに世に言う「谷中だんだん」という階段があって、その先は谷中銀座となります。
道路を渡って進行方向の狭い道をはいっていけば谷中墓地に行けますが、その角に経王寺さんというお寺があるのです。

このお寺の山門には明治維新彰義隊の戦いの際についた鉄砲の弾の孔が残っています。

ね、くっきりと残っておるのですよ。もう140年も前の戦争の傷跡です。
さて、道路を横断して細い道に入っていきます。陽気にさそわれたか、観光客が多い多い、まあ私もその一人ですが・・・
しばらくして左手に独特の建物があらわれました。

ここが、朝倉彫塑館。彫刻家朝倉文夫の住居兼アトリエだったところで、今は朝倉文夫の彫刻を展示公開しています。実は4月から修理に入り、平成25年まで閉館するとうので、今回、緊急に谷中散歩を企てたのでした。
私は約10年前にここを訪れて、この建物の素晴らしさに驚かされました。特に3階部分の和室と池を中心とした庭の見事なこと!!

皆さん、朝倉文夫をご存知ですか?
一番有名なのは早稲田大学大隈重信銅像ですね。あと、美術の教科書によく掲載されているのは「墓守」という老人の銅像です。
彫塑館を入ると、3階分の吹き抜けのホールで、そこに彫刻がたくさん展示されています。その右手奥に蔵書がそのまま残されている書斎があり、左手には2階への階段と一段下がった休憩処とでもいうべき、庭を望む一角がありました。

庭を家から鑑賞するもの、と割り切ってそのほとんどを池にするという発想はユニークですね。
2階にあがって、猫の彫刻室、ここにはノビをするネコや鼠を捕まえたネコ等、ネコネコネコと猫の彫刻ばかりが並んでいます。
さあ、三階へ、その階段付近でさえデティールが美しいんですよね。

この左手には豚の口から水が出る洗い場がありました。
さあ、もうひとつ素晴らしい場所!! 3階の和室「朝陽館」です。
撮影禁止につき、画像がないのが残念ですが・・・めのうを砕いて塗りこんだ赤い壁に高級な木材を惜しまず使用した贅を尽くした大空間であります。

でも、見所はこれで終わりません!!
屋上へレッツGO!!!

今の時期、花は咲いていませんが、ここは空中庭園になっている訳なんです。大正期に建築され、昭和の初期に大幅に手を入れたそうですが、それにしてもモダンですよね。
入館の際、屋上から見下ろしていたブロンズ像が見えていますね。私はあれはロダンの「考える人」だとばかり思っていたのですが、実はこんなヒトでした・・・

帽子のツバを後ろにまわした青年像でした。朝倉文夫という人物は面白いヒトだったんでしょうね。(もっとも、最初からこのヒトがいたのかどうかは不明ですが・・・)

屋上から見下ろす庭もいいなあ・・・何度も言うようですがほとんど池なんですが

冷たい風を心地よく体に受けつつ、緋鯉も泳いでいてジイッと眺めていてるのもオツなもんでした。
視線をあげると、谷中霊園の先に上野公園の緑が広がっています。聳える甍(いらか)は東京国立博物館ですな・・・

(私のデジカメで撮影したので画像がよくないですが我慢してくださいね。YOUTUBEにUPしリンクしました♪)

名残を惜しみつつ、朝倉彫塑館を出ました。ほんの少し歩くと、観音寺の土塀があります。

江戸時代から残る貴重な塀です。瓦を置いて塗り重ねていく手法・・・昔見た名古屋・熱田神宮の信長塀もこんな感じでしたね。平成4年に台東区の街角賞を受賞、小さなプレートが壁に取り付けられていました。
付近にはこんなしもた屋風の家もありました。

この先を直角に左折すると谷中霊園です。そういえば経王寺前で白人ご高齢のご夫人から「ヤナカセミタリーはドコですか?」と英語で質問されましたな。
外国の方にも谷中霊園は有名なのでしょうか? 徳川慶喜長谷川一夫鳩山一郎等の著名人が眠っていますが、道も広く緑も多くて散策にもってこいの場所です。
また、お墓だけではなく色々と記念碑も多く、それぞれに丁寧な説明板もついていて親切なのです。
そうそう、五重塔跡の横では拓本をとっている方がおられました。

このあと、霊園を抜けて千駄木に出たのですが、そのシッポのあたりはまた後日にでも・・・