池田木部から久安寺へ

sampodow2006-11-03


いやあ、帰ってきましたね、車で・・・。
今回の帰阪の目的は今年96歳になる大伯父(なんと黒澤明と生年月日が全く一緒!!)の御宅を訪問することにあったが、電話すると体調をくずされているとのことで断念し、かわりに母を連れてのドライブとなりました。
今日は文化の日で、池田市文化財公開日とのこと・・・池田市北部の木部(きのべ)の永興寺へ十一面観音を訪ねていくことにしました。
このお寺には小学生の頃、写生に行ったこともあり久し振りの訪問となりました。記憶とナビを頼りに池田の中心部を通り抜け猪名川沿いをわずかに北上すると、すぐに木部です。五月山が迫り緑濃く、いい雰囲気をかもし出しておりました。紀部神宮の鳥居前の側溝沿いに駐車し、神宮の横の坂道をあがっていくとスグ横に曹洞宗永興寺はありました。門横に小さな箱が取り付けられていて、なんだろうと覗くと中に小さな仁王様が立っていました。

普通の民家風の本堂には市の方が待機されていて丁寧な解説をしていただけました。本堂正面には禅寺ですから釈迦牟尼仏が祭られています。祭壇の裏手へまわり、開山堂兼位牌堂のような奥まった処の中央に十一面観音が安置されていました。十一面とはいっても頭の小さな仏達もかなりなくなっています。聴けば、もともとは聖観音だったものを室町時代長谷寺様式の十一面観音に造り直したものだそうです。手や頭の小仏等は後補で、胴体は平安中期の作となかなかに古いもの。首が短く太くどっしりとした安定感のある観音像でした。
もともとは紀部神宮にあった仏だったそうですが、明治の廃仏毀釈の頃なのでしょうかこの永興寺に移ったものだそうです。戦国時代になると、池田は織田信長に攻撃され焼き払われました。もとはと云えば、池田氏の家臣であった荒木村重が信長に対して謀反をこしたからなんですが、この木部あたりも焼き払われて、この観音さんも抱きかかえられて右往左往逃げ回ったんだそうですよ。
拝観を終えて、紀部神宮におまいりしました。かえでにおおわれていて、紅葉のころにはさぞ綺麗なことでしょう。

自動車を出そうとすると、移動図書館が店開きをしていました♪ 

ついでにと、伏尾の久安寺まで足を伸ばしました。
昔は久安寺といえば、随分遠いところというイメージでしたが、車ではあっという間です。
ここも今日は文化財公開日でしたが、15時で終了しておりました。(残念!)

立派な重要文化財の楼門にかえでにおおわれた参道・・・少しいくと300円の拝観料を取られてビックリしましたが、中に入ってまたまたビックリ!! いつの間にこんなに立派なお寺になったのでしょうか・・・京都のちょっとした寺院であれば十分勝負出来るような伽藍ができあがっていました。

小学生の頃、他のクラスの担任されていたご住職も元気いっぱいで、こられた方々に色々と説明されておられましたが、この方がさしづめ中興の祖って感じになるのかな? 

いつまでもお元気で・・・K先生
それから、箕面のホームセンター等へ行ったのですが、もう日暮れとなり、六甲山が夕日にかすんでおりました。

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さて、その夜・・・石橋で友人に会いまして旧交を温めました。阪急石橋駅付近で蕎麦を手繰り、焼き鳥に舌鼓を打ち、締めに米焼酎でのひれ酒♪
石橋周辺は新しいお店が次々と出来て楽しい限りです。蕎麦のおいしい店も見つかったし、焼き鳥屋は2度目か3度目ながら味は抜群で文句なしですわ。最後のお店は井口堂寄りの「ちりとてちん」・・・いいお店ですよ。味は一押し、酒も一押!! これから常連になりそうです。
友人夫婦とは映画の話で多いにもりあがりました。
最近TV放映された「亡国のイージス」の閣僚がダメだ、特に警察庁長官役の平泉茂はダメだ!!なんて話・・・ あの映画の中でも内閣情報室長で岸辺一徳が出ていますが、彼は何にでも出ているし、日本映画にはなくてはならない名バイプレーヤーだな、という話になり、友人がこう締めくくりました。
「まるでモーガン・フリーマンやね・・・」(爆)