三郷温の中村家に行ってみる

豆乳君が出勤しているので、会社に顔を出しました。
彼の仕事が終わってからサッカースタジアム近くで昼食をとり、(この時食べた生姜焼定食が絶品でした。また紹介しますね♪)豆乳君が生まれ育った安曇野市三郷温(みさとゆたか)に向かいました。
少し前のことですが、彼の家の近くにある中村家が国の登録有形文化財に指定されたという記事を読んで、一度行ってみたいと思っていたのでした。
登録有形文化財とは、サッカーでいえば日本代表候補みたいなものですかね。重要文化財の指定はむずかしいが、「壊すなよ」という事ですかね。
少し迷ったものの、すぐに中村家はわかりました。成る程、なかなかに立派な本棟造りです。

これから公開しようとしているのか修復しようとしているのか、あたりにトラロープが張られていました。裏手に回るとこんな感じで、こちらの方が素敵ですかね。

こちらの方が正面ですが逆光ということもあり、もうひとつの写真になってしまいました。



左上が母屋前の蔵です。 右上は入口に貼られていた登録有形文化財のパネルです。左下は道路に面した蔵群、非常に魅力的でした。 右下は屋敷林です。

折角ですから、周囲を歩いてみました。結構本棟造りも多く、そのひとつは出川の中田家に匹敵する程に大きなものでした。

さらに足をのばして周囲の本棟造りの住宅の撮影を続けました。ここは三郷温の北長尾という地区で、この地区の古民家調査のような格好になりました。本棟造りを撮影していると、手前の畑にコの字型をした金物がたくさん埋まっていました。なんだか現代美術のような光景ですよ。


なんなのだろうと気になっていたら、紫色の服を着たおばちゃんが自転車でやってきたので聞いてみると、アスパラガスが育っていくときに着ける金物だったのです。
ひとつ勉強になりました。

ありがとう、紫のオバちゃん♪
素敵な道祖神がふたつもありましたよ。
中村家の前を東西に走る道を東に向かっていき、やや広い道に出る手前、火の見櫓の下にその道祖神はありました。


3つ並んだうち、正面から見て左端は天照皇大神の文字碑で安政八辰(1862)年二月吉日の建立ですから、幕末の匂いも、この三郷温の地に届いていたのでしょうか。桜田門外の変の翌年ですね。

これは右端のアップで、寛政申十(1798)年春とありました。

一番クッキリとしているのが下の写真の一番大きな道祖神(三体並んだ中央のもの)で、この像には寛政五丑(1793)年二月八日とありました。右側の方が5年も新しいというのが不思議ですよねえ・・・。おそらく石工が違うのでしょう。



こういった握手した道祖神を「双体道祖神握手像」と呼び、この三郷地区には49体もあるそうですよ。
このあと、貞享義民館に行ったのですが、その話はまた今度!!