さてさて昨日の続きです。
吉見百穴珍道中はマサカの段でございます!!

東松山駅前のバス停をめぐりまして「百穴入口」に停車するバスは・・・と探しますと、鴻巣免許センター行きで5つ目が「百穴入口」であることがわかりました。14時59分発に乗車し、さあいよいよと5つ目のアナウンスを待っていると・・・
「次は市民文化センターです」
「?」
−そうか、5つ目は数え間違えだったのかな。次に期待・・・
「次は五領高校前です」
「!」 −じゃあ、次か?
「次はパークタウン入口です」
「!!」−うーん次?
「次は終点パークタウン五領です」
うわあ、終点やぁ〜と思わず叫ぶ我々!!!
百穴入口はどこへ行ってしまったのでしょうか?
乗客の一番最後に下車する際に運転手さんのお聞きしました。
「百穴入口にはいかないのですか?」
「このバスは行きませんね。東松山駅まで戻っていただかないと・・・」
「このバスは戻りますか?」
「戻りません」
「・・・ ここから吉見百穴までは歩いてどれくらいですか?」
「ん―、20分くらいですかねえ」
雨だからなあ・・・とここで下車、しかし後から下車した友人が更に尋ねて、吉見百穴への道順も確認しました。
駅まで戻ってバスで向かうか、雨中歩くか・・・よし、歩こう!!と即決し歩き出しました。
ここで役にたったのが、友人がプリントアウトしてきた広域地図と、私が持参した吉見百穴近辺の詳細地図です。その地図のお陰でなんとかこれ以上は迷わずに到着することが出来ました。
あとで駅に戻った際に確かめると、「吉見百穴」を通る「鴻巣免許センター行き」にはチョロっと出た「パークタウン五領行き」の支線があったのでした。行かれる方はご用心ご用心!!
県道(ですかね)407号線を六反町のケイヨーデーツーのところで東に入ります。おおきな看板も出ているのでスグにわかります。
しばらく行くと、目的地ではないものの「吉見百穴」のバス停に到着しました。もう、20分は歩いたんじゃないかなあ・・・

このバス停を過ぎますと市野川という大きな川にぶつかりました。ここを右折・・・

河川敷きも広く、おだやかな光景ではありますが、立ち枯れした雑草が一面を覆っていて異様な光景となっていました。

橋に差し掛かると、その向こうに崖と寺院の山門が見えてきました。この崖の上が北条氏の支城である松山城跡です。この東松山という地名はこの城名からきているんですかね? 「愛媛の松山」が先に「市」になったことから「東松山市」となっていますが、地元の人達は単に「松山」と呼んでいるそうです。
橋を渡り、川沿いに左折し「崖と山門」に向かいました。
写真下の崖の部分が戦前に作られた岩窟ホテルの跡でした。

ここの事については下に表記したHPから詳細に教えてもらいました。

『農民・高橋峯吉が城跡の本丸下の懸崖をノミとツルハシだけでくりぬき、中央アジアで見かけるような宮殿風をつくった。内部の完成にはいたらなかったが、「昭和」の初めにはそのデザインが珍しがられ、多くの観光客がつめかけた。』

HPに掲載されている1934年発行の絵葉書を見るとチョットした衝撃が走ります。

■観光地盛衰記
http://a.sanpal.co.jp/hokutoh/resort/gankutsu.html

〈このHPは知る人ぞ知る北冬書房のHPのようで、つげ義春の紀行写真集やなにやら色々とありまして、このHPこそ探検する価値がありそうですよ〉


全く中に入れないのが残念でしたが、一度中に入ってみたいもんですな。
その隣にあった寺院の山門ですが、これは山門ではなく寺院自体だったのです。
「岩室観音堂
これも不思議な寺院とはいえましょうなあ・・・

この建物の両側に岩室が掘られて、その中にたくさんのお地蔵さんが祭られていました。おそらくその中には観世音菩薩もおられたのでしょう。
この建物を内側から撮影すると、その構造の面白さがよくわかります。

この山門だと思っている建物を抜けると細い道が一本城跡へと伸びているだけでした。

少し登ってみましたがその小道の真ん中にスーツ姿の男がしゃがんでカバンを開けなにやらブツブツ言っているのを目撃し、怖くなって一目散で逃げ帰りました。
この山門を過ぎると、吉見百穴まではもうスグです♪
ただ、吉見百穴をさえぎるように木々が生い茂り、大きなうどん屋が立ち、なぜか新興住宅地が出現し、おまけに税金のムダ遣いとも思える立派な門や施設が立ちはだかり、吉見百穴はホントにスグ近くにいかなくては見られないのでした。
まるで松本城のように・・・


立ちはだかる代表として門をご紹介しておきましょう。
入場料300円を払い入場しました。16時半までの入場制限等は吉見百穴を守る為というより「ひかりごけ」を守るためらしいのですが、あとでお土産物屋さんでお聞きしたところ、「ひかりごけ」は最近非常に少なくなったのか、光らなくなったんだそうです。皮肉ですねえ・・・
さあ、入場すると、あこがれの、まあ小学生の頃から知っていた古墳ですから「あこがれ」ではある訳ですよ。そのあこがれの吉見百穴がどーんと現れました!!


この地には大森貝塚を発見したことでも有名なエドワード・モース博士も訪れており、明治時代に坪井正五郎博士によって発掘されました。
坪井氏は当初、伝説の小人コロボックルの住居跡と謎の発表をしていましたが、その後全国的にも珍しい古墳時代末期の集合横穴古墳であることが判明しました。
この様な横穴集団古墳はこの吉見百穴と近くの黒岩横穴墳群のみで、簡単に渡来人のお墓と言われますが、この埼玉より渡来人の多い近畿地方には皆無で全く謎というほかはありません。ただ、後に岩室観音堂や岩窟ホテルが作られた掘りやすく且つ崩れにくいこの地層があればこそ作られた遺蹟だとは言えますね。
上の写真で一番下に多きく開いている穴は古墳ではなく、太平洋戦争末期につくられた軍需工場のもので、途中までは入ることが可能です。
我々は魅入られたように、この穴へと足を踏み入れていったのでした。


入ってみますと中は想像以上に高さも幅もあり立派なものでした。また入った途端にゾッとするくらいにヒンヤリと肌寒く驚かされました。
雨天で観光客が我々だけしかいなかったことが怖さを増長させました。オマケに奥の方をフラッシュ光らせて撮影しようとすると、フラッシュはつかないわ、シャッターが効かないわ、というちょっとした○○現象にもみまわれてしまいゾッとさせられました。
この地下軍需工場跡地は先に紹介したHP「観光地盛衰記」にも記載がありますが、群馬県太田市にあった中島飛行機の軍需工場として多くの朝鮮人労働者の手によって掘られたものですが、完成しないうちに終戦を迎えたようです。

 

晴れた日で多くの観光客の方がおられれば、また違った印象だったでしょう。
ただ、見学のインパクトが余りにつよくて、後から壁面の階段を登りつつ観察した本日本命の「吉見百穴」の存在が薄れてしまいました。
まあ、言ってみれば、ただ穴が219個並んでいるだけですからねえ・・・(それを言っちゃオシマイな気もしますが・・・219個というのはスゴいことはスゴいでしょ?!)

それに、百穴は入れませんからね・・・入ったら遺骸と同様に寝そべるしかありません。(そしてカラダに「ひかりごけ」が付着して、お風呂に入ってもうまく取れない部分があって、夜中に目が覚めたら手の一部がボンヤリと光ってた・・・なんて怪談めいた話になってしまいますよ!!)


吉見百穴見学後、敷地内にふたつあるお土産屋さんのうち、入口に近い方に入りました。そこの若い店員、というか店の一族の方なんでしょうねえ・・・その方が非常に熱心に熱く熱く情熱をこめて吉見百穴について教えてくれるのでした。我々のことを「お客様、お客様」と呼びながら・・・

まずわかって驚いたことは・・・吉見百穴は「よしみひゃっけつ」ではなく「よしみひゃくあな」と読むということ!!ですね。
それから展示してあるモースがとった写真や、最初の発掘時の写真についても熱く語っていただきまして、撮影禁止のそれらの写真の撮影を特別にご許可いただきました。



いきなり、こんな穴だらけの山が現れたら驚くでしょう!! もっとも発掘前には全部に板状の石でフタがされていたのです。そのひとつがこのお店に展示されていましたが、残りのフタは近所の方々が持って帰って散逸してしまっているそうです。
やはり、こういう景色がどーんと見えてこそ感動もあり、観光地になるのではないでしょうか?



どうです。まるでこの人々がこの穴で生活しているように見えませんか? 近所の方がわいわい集まってこんな写真になったようです。
いやあ、素晴らしい写真だ!!!

これがモースの撮影した写真です。他の写真にはちょん髷姿の人もおり、明治初期の風俗を知る上でも貴重なものだと思います。

とまあ、この「情熱大陸」に出演出来そうな店の方の熱意に感謝し、吉見百穴を後にしました。
帰りはこの史跡公園にある老人ホームの前の道で市野川へ出て、川沿いを岩室観音堂の方へ進みました。すると、この道を来た方がたぶん感動的な「吉見百穴」にめぐりあえることがわかりました!!
市野川の堤から史跡公園への道にまがるとこのように目に飛び込んできます!!

市野川の橋を渡りふりかえると、一面に立ち枯れた雑草に覆われた河川敷のむこうに「吉見百穴」の山が見えました。


この後、池袋まで戻り、東明大飯店で舌鼓を打ったのでした♪




【 付  録 】

■吉見町の観光HP
東松山→百穴入口の時刻表もあります。
http://www.town.yoshimi.saitama.jp/guide_hyakuana.html

今回観光して気づいた点は・・・

東松山駅のバス停に注意しましょう

吉見百穴は橋を渡ってから川沿いに進み老人ホーム側から入ること
 (車でもOKです)

③見学はまず吉見百穴から!! 軍需工場跡地は後から行くこと。

④見学にベストなのは草木の生い茂る夏より冬の方がベターかもしれませんね。