藤森照信著「天下無双の建築学入門」

天下無双の建築学入門 (ちくま新書)

天下無双の建築学入門 (ちくま新書)

面白いかったですよ、この新書!! (なんだか新書ばかり紹介していますが…)

目からうろこの話しが満載でした。


この間、松本でタクシーに乗った際に、初老の運転手さんと寒いねえ・・・なんて話をしていたら、「今の家はサッシなんかあって暖かいけれど、子供の時はコタツだけで、足は暖かいけど背中は外と一緒だったよ」なんて話をされていましたが、この本によると・・・
石油ストーブの登場により、日本人は竪穴式住居の暖房水準を千何百年振りに回復したんだそうです。明治天皇でも冬の暖房は火鉢3つだけだったそうですよ。
ましてや、冷房なんてねえ・・・ 冷房もこの本によると19世紀で近代文明化していた国の中で、冷房を必要としていた国はアメリカと日本だけだったそうです。アメリカ生まれの冷房の恩恵をはじめて受けたと思われるのが、あの昭和天皇・・・実は大正天皇が皇太子時代に東宮御所にその設備が入ったものの、明治大帝が「贅沢だ!!」と使用をお許しにならなかったらしい。大正天皇の御世となり、皇太子となった昭和天皇には使用が許されたが、湿気の多い日本の夏を考慮していないシロモノだから結露して、それがツララに成る程寒くて、昭和天皇は大変だったとのことであります。人間どこに苦労の種が落ちているかわかったもんじゃありませんね。

もうひとつ興味深かったのがDK誕生の話でした。
「ステンレス流し台が座敷を駆逐」と「ダイニング・キッチンの知られざる過去」の2章に分けて詳細に語られております。
日本住宅公団は戦後の住宅難において集団住宅地(略して団地)をつくるにあたって「寝食分離」をとなえる建築学者の意見を取り入れ、「食事場の独立」を検討した際、食堂の独立はむずかしいために台所と合体させた「ダイニング・キッチン」という新しい発想に至ったとのことです。
公団技術課長本城和彦さんが企画し、「ダイニング・キッチン」という造語も彼がつくったのだとか・・・
そのためには従来のコンクリート製の流し台ではどうしようもないので、当時、住宅での女性地位向上を強く訴えていた浜口ミホ氏に本城課長が相談し、やがてサンウェーブへとつながるステンレス流し台が誕生しました。
元々「寝食分離」をとなえていた建築学者西山夘三は「マルクス主義建築学者」という、今では絶滅したであろう種の学者で、学生時代から大阪の下町で調査を実施し、庶民が狭い家の中でなんとか「寝るところ」と「食べるところ」を分離しようと工夫している姿にうたれ、この「寝食分離」を打ち出したんだそうですな。つまり、もともと「DK−ダイニング・キッチン」はプロレタリアート向け発想なのでした!!!
今や、多くの戸建・マンションで取り入られている「ダイニング・キッチン」は他の国では見られない、日本独特の文化なのです。
ただ、そういえばすし屋にしろカウンターの割烹にしろ料理人の手元を見せる文化を有する日本においては当然の発想といえなくもないですよね。

もうひとつ、「芝棟」の話はまた別の機会にでも・・・