トラディショナルということ

引き続き大阪の話で恐縮です。
阪急電車の車体は子供の頃から、いやそのずっと前から小豆色で、シートは鶯色というか若草色です。


東京の私鉄は西武等の例外はありますが、今のはやりはステレンレスの銀ピカボディに各社象徴の色をラインに入れてかっ飛ばしていますな。
たまに、昔懐かしい車体なんかを記念の日に走らせているようですが、一度変えてしまうとなかなか元には戻せないものです。
そこで思い出したのが、少し前に読了していた阿川弘之対談集「言葉と礼節」です。



言葉と礼節―阿川弘之座談集

言葉と礼節―阿川弘之座談集


阿川弘之・・・ご存知ですか?
文学史上では遠藤周作吉行淳之介安岡章太郎らと共に「第三の新人」という戦後グループに位置づけられています。志賀直哉に師事し、「年々歳々」でデビュー、海軍物を得意とし、代表作には「山本五十六」「米内光政」「井上成美」の海軍提督三部作や「軍艦長門の生涯」等がある、私の好きな作家のひとりです。
わかりやすく言えばエッセイストでTVタックルの司会でおなじみの阿川佐和子さんのお父さんですね。
この対談集では「言葉」をキーとして娘さんの佐和子さんや村上龍半藤一利養老孟司の各氏と対談しています。世代の違う村上龍さんと最近の「言葉」について意気投合しているあたりも面白いのですが、ここではもうひとりのタケシさん、原武史さんとの対談について記述したいと思っているのです。
この原武史という人も変わった人で明治学院大学教授にして日本政治思想史の専門家で名著といわれる「大正天皇」を書いた人であり、しかしてその実態は・・・結構真性の鉄道オタクという、天皇を語りながらも必ず鉄道の話も併走するという御仁なのだった。
乗り物好きではヒケをとらない阿川弘之と話が進まぬワケがない!!!
そこで、阪急電車の話が出てくるのです。「駅名にみる東急VS阪急」という項で、慶応卒の小林一三の興した阪急と東大卒で鉄道官僚となった五島慶太が興した東急のカルチャーの違いから話初め、冒頭に書いた車体の色の話から両社の駅名にうつっていきます。
原教授が「阪急は駅名も頑として古い。『服部』や『山本』といった平凡な古い集落名を使っているが、東急はどんどん替えている。」と実例をあげていきます。
「元石川」が「たまプラーザ」、「成合」が「青葉台」、「谷本」が「藤が丘」
ところが阪急は頑として変えないと・・・ 「阪急が『雲雀丘花屋敷』と漢字にこだわるのに対して、東京に来ると『ひばりケ丘』(西武池袋線)になってしまう・・・」また、東急の駅名のつけ方は地方に伝播していっているのだとか・・・
変えていくのも文化だからそれもいいとは思いますが、変えないという文化もいいモノだと思うのは私が大阪人、関西人だからでしょうか?
阿川さんはこうぼやいています。
「元々『港北区元石川』という地域が今では『青葉区美しが丘』で駅名が『たまプラーザ』。恥ずかしくて名刺にも書けないと、はじめは怒ってたんです(笑)。」

そういえば、プロ野球でも、球団シンボルマークやユニフォームを球団創設以来基本的に変えていないのは阪神タイガースだけなんだそうです。

これは先日、大阪の南で見かけたシャッターですが、このトラも1936年のユニフォームに縫い付けられたマークと基本的には同じなのです。
ここにも伝統はありましたな・・・



そうそう、阪急ネタをもうひとつお許しください。
この日曜日に茨木市に行った話は先日書きましたが、その帰りに京都線の特急に久し振りで乗車しました。京都線の特急が茨木市駅に停車するのにも驚きましたが、そのグレードアップした内装にも目を見張りました。
ベンチシートでなく、ふたり掛けのシートは京都線特急だけだったのですが・・・

人が立ってもたれかかる座席の背面や肘置きに木材をフンダンに採用しています。このシックにしてゴ−ジャスな雰囲気・・・写真ではお伝え出来ないでしょうか?
すわり心地もGOODでおました。








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