天神橋界隈

らこご屋さんでウダウダ話してから南へ南へ・・・ひとまず気になったカレー屋の前も通り過ぎて、天神橋北詰へ出てきました。
橋のたもとに、昔の天神橋につけられていた橋名飾板が置かれていました。

なかなか立派なものですな。説明板によると1878(明治21)年にドイツから輸入された鉄橋の橋門上に飾られていた鋳物製だそうです。同時に、その当時の写真も掲示されていてました。


非常に興味深いものですねえ・・・明治中頃の人力車走る大阪の町・・・落語の世界そのままです。


たゆとうと流れる堂島川旧淀川)、高速が横切る向うに少し見えているのが難波橋です。
向こう岸、高速の先に見える茶色の低いビルの中に大阪で有名な料亭「花外楼」があります。その向うの高いビルは大阪証券取引所です。土佐堀川に面した船場の北の浜・・・それで地名は「北浜」なんですね。
「花外楼」といえば、日本史に出てくる「大阪会議」の場所として有名です。1875(明治8)年に木戸孝允板垣退助大久保利通伊藤博文井上馨が参加し、近代日本の進むべき道を模索した会議ですね。
中之島公園へは工事中で下には降りられませんでした。
昔、確かここに軍艦のマストが屹立していたハズ、とネットで調べると、今年の2月9日付の産経ニュースに「軍艦『最上』の解体作業始まる」との記事がありました。 国旗掲揚ポールとして使用されていたそうで、老朽化のため解体して広島県呉市大和ミュージアム」に移設されたそうです。収まるべきところに収まったというべきでしょうか・・・少し寂しいな。
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090209/trd0902091252003-n1.htm
中之島公園を過ぎると、土佐堀川にかかります。そうそう、歩いているのは松屋町筋(まっちゃまちすじ)です。

中之島公園の東端はどのように整備されるのでしょうか?
河岸に古いビルが聳えていました。昔は辻調理師学校の看板が出ていたと記憶していますが、地図で確認すると、辻調理技術研究センターとなっていました。調べたところ、「旧大林組本店」ですね。
橋を渡ってからの写真しかないのですが・・・


1926(大正15)年に竣工された大正モダンを代表するビルのひとつです。この時代、関東大震災の影響もあり、大阪は日本一の人口を擁する大都市でした。
設計は社内コンペで優勝した小田島平吉と平松英彦。本社ビルを社内コンペで建てるあたりが面白いですよね。今に通じる大阪のノリかもしれません。
現在はルポンドシェルビルと呼ばれ、有名なフランス料理店「ルポンドシェル」や、大林組歴史館に先程話しました辻調理師専門学校の施設が入っているようです。



この正面入り口も素晴らしいですよね。鷲の装飾もGOODです。こういうディテールをてらいもなくデザインし採用され具現化出来た時代に羨ましさも感じます。
次の写真は河側から撮影したルポンドシェルビルです。

実はこのビルを通り過ぎると河岸に降りる階段があったのですよ。
水上バスが行く向こうの方に中之島の象徴である中央公会堂が小さく見えていました。


以下は後日に記載します。