池田古墳めぐり 五月丘古墳と池田茶臼山古墳


またまた大阪へ帰っております。
朝からクマゼミがシャンシャンとうるさいですなあ…夏はこれでないといけません。ぶらりと散歩に出掛けました。家から北に歩いてスグが池田と箕面をつなぐ中央線、それを池田に向いて歩きます。秦野小学校を尻目に子どもの頃、「らくだ坂」と誰かが言っていたゆるやかなアップダウンを歩いているとキリギリスの鳴き声がする先に来月24日のガンガラ祭の際に大文字を焼くところがクッキリと見える五月山が遠望出来ました。



ガンガラ火祭自体は17世紀初めから、この大文字も江戸末期には始まっていたという由緒あるものです。
下渋谷を過ぎて、突き当たりの森が呉服神社

子どもの頃には鬱蒼としていて怖いぐらいでしたがね。
阪急池田駅の南側にある呉服(くれは)神社の摂社でしょう。池田には漢国(あやのくに)から綾羽姫・呉服姫がやってきて織物を伝えたという伝承があります。
この裏山で、私が小学生の頃に古墳の発掘調査がありました。
学校の先生に教えてもらって、友達達と何度も見に行きました。(一度怒られたこともありましたね)

それがこの陶棺の回りに小さな石室がつくられている「五月丘古墳」です。
(名前がようないですよね。やはり呉服神社古墳とか、神社裏山古墳とかにして欲しかった)
この発掘当時に驚いたのは、棺の方向がこの丘から眺められる家並と全く同じ角度だったことでした。真北だったんですかね。
今はもうマンションばかりでその風景はなくなっているのが残念です。

 

この古墳の横に池田市歴史民俗資料館があり、本物の陶棺はここで展示されています。
入口横には村重塚の祠が移築されていました。最近まで池田駅の近くにあったのにねえ・・・ 信長に仕え、後に謀反を興した荒木村重はもともとこの池田の城主池田氏の家来でした。その伝説の祠が街中にあったのです。

歴史民俗資料館を見てから、隣りの図書館へ・・・。
出てくると、正面に池田茶臼山古墳が見えていましたので久し振りで足をのばしました。


この古墳は大阪府史跡となっている前期前方後円墳です。2枚目の写真が後円部から前方部を眺めたところ・・・。足元にある石は石室の蓋です。
かなりな急角度で後円部が盛り上がっているのがわかると思いますが、この古墳は丘陵を削って作り上げたもののようです。
(ここで出土した立派な円筒埴輪は歴史民俗資料館に展示されています。)


古墳の南側には元池田市長の武田義三氏の銅像がありました。小学生の頃の市長さんです。連続七期くらいは務められたんじゃなかったでしょうか。
ここから、またらくだ坂こと中央線を西へ、自宅へと戻りました。

途中、母校の秦野小学校前には昔と変わらぬ姿で吉田文房具さんが残っていました。