真田太平記を歩く


さあ、前日の続きを書きましょう。
市の中心部原町から馬場町、鍛冶町と東に行き、とって返して原町のカレー屋ベンガルで腹ごしらえ・・・今度は西に向かって上田城跡公園手前の石井鶴三美術館から、城跡公園を反時計周りにまわり、いまや城の西側に来ています。

下方から城に向かって来て、その手前の「1」が石井鶴三美術館、「2」がうきよ橋、「3」がたそがれ清兵衛ロケ地です。この橋の付近では鈴木清順けんかえれじい」や「淀川長治物語サヨナラ」なんかも撮影されたそうです。ここから南に下って行って、芳泉寺にいまや着かんとしている訳です。
浄土宗の芳泉寺は城郭のような石垣のうえにあり、上田城の出丸のようなものでもあったのかと想像されます。この寺の境内は仏教のワンダーランドのような不思議な空間となっておりましたが、その裏手の墓地の一郭に初代藩主真田信之正室小松姫墓所と、真田家の跡に上田藩主となった仙石家の霊廟が祀られています。


小松姫の供養塔は品がありました。仙石家の霊廟は霊屋がふたつありましたが、どうしたことか扉がはね落ちて、中の五輪塔が顔を出しておりました。そして、その周囲におびただしい黄色い果実が散乱していたのでした。あの果実は何だったのだろう・・・



芳泉寺を後にして坂下の方には行かず、門前にあった歴史の散歩道と称される小道に入っていきました。・・・「4」の場所ですが、ここの雰囲気はよかったですよ。


ところが、この小道を抜けると突然に大空間が広がり驚かされました。野球場や陸上競技場やらが広がっていますが、ここも城郭の一部なのでしょう。それにしても上田城の縄張りの大きさに驚かされます。これは天下の大城ですね!!

写真は振り返って芳泉寺を遠望したところです。

城の本丸を抜けていきました。真田神社があり、いくつかの櫓が現存しています。(ものの本によるとこの櫓が一時遊郭に使用されていたとのこと!! 城郭が遊郭になっては洒落がキツすぎますよねえ)

この真田神社のうしろには真田の抜け穴と呼ばれる井戸がありました。

二の丸堀跡を抜け、石井鶴三美術館の前まで戻ってきました。ここからまっすぐに原町に戻ることもできましたが、堀跡沿いに南下し、駅方面に出ることにしました。結構急な坂をくだると、城跡の南側が崖になっていることがよくわかりました。

上田駅手前の「みすず飴本舗」の大きな建物の手前の車坂を登っていきましたが、ここも大きな崖となっており、その上に住宅地があります。(今回は立ち寄りませんでしたが、その住宅地に旧上田藩主屋形跡があるようです。)

駅前の通り「松尾町」(まっすぐ北へ行くと原町になります)を渡り、鷹匠町から常田町へと歩きました。常田町には池波正太郎が愛したそば屋「刀屋」がありましたが、日曜が定休日でした。今度は土曜に来よう!!)

常田町から横町通りに出て北上し、食事前に歩いた鍛冶町に入りました。蛭沢川という深い川沿いに左折すると、「なつめ河岸」というあたりで、ここに志賀直哉豊年虫」に登場する藪そばがありました。(今は営業していないようです。)

この周囲にも古い家々が多かったですよ。


なかでも心打たれたのは河端にあったつぶれた蕎麦屋の建物・・・
横の流れにかかった橋は物置として利用されていました。

原町に戻り少し北上し、旧北国街道として整備されている柳町にも立ち寄りました。若干お化粧が過ぎるような気もしますが、すがすがしいですね。


右上の写真が岡崎酒造です。前回訪問時には、ここの清酒「亀齢」をお土産に買って帰りました。

この通りでは最近も「犬神家の一族」などが撮影されていますが、私には道一本入ったところにある長屋の廃屋の方に心動かされるものがありました。

もう5時を回っていましたが、池波正太郎真田太平記館が開館していたので再訪しました。


池波正太郎の文庫本を何冊かお土産に買い求め、上田を後にしました。
なかなかに充実した1日でした!!  上田はいいところですよ。