噺の続きは・・・

ようように段取りが終わって、らくだの兄貴分は酒を飲みだし、これから本業に復帰するという紙屑屋にも無理矢理に飲ませます。
いやや、いややも好きのうち、断り続けながらも半ば脅されて茶碗酒を3杯も飲むと、肝が据わってしまいます。
「こらっ おまえ、いい加減にせえよ!!」と紙屑屋は不満爆発、立場が逆転してしまうのでした。
と、普通はここで「うだうだ言うております、「らくだ」半ばでございます」と終わります。それでも40分は超えようかというお話ですよ。
それを千日前(ビブレのあるあたり)の火葬場まで持っていくわ、途中で桶の底が抜けて落としてしまうわとワヤクチャな話になっていく最後までしゃべりきるんやから、1時間を越える長講になりますわなあ・・・
お噺の方はというと、千日前まで行って、桶が空なのを気づいた二人が探しに戻って、
挙句の果てに人違いというか、死人(しびと)間違いというか・・・ふんどし一丁で酔って道端に寝ていた願人坊主(乞食坊主のこと)を火葬場の連れていって燃してしまう!!
アツい、アツい、と目を覚ました願人坊主が「ここはどこじゃ!!」と問いかけます。
大阪では火葬場の事を昔「火屋(ひや)」と言ったそうで・・・
「火屋や」
「ヒヤでいいさかい、もう一杯♪」
と訳のわからんサゲがついて終わります。

このネタを笑福亭系の濃いい大阪弁で、それも説明なしにやるから、みんなわかるんかいな?とハラハラしました。
戦後、これだけ上方落語が日本全国に認知されたのは、今や人間国宝桂米朝がソフィスケートされた大阪弁で全国各地を回った、その後を天才桂枝雀が爆笑ネタで布教したお陰の様なものです。
それにくらべると、この笑福亭系は今の我々大阪人にしてもややキツいものですわ。それをこの東京で2,000人から集めてやったというのはイヤハヤ頭が下がります。
ここまで6代目松鶴の口演をそのまま踏襲するとは、凄みを感じました。

ラストは死んだはずの「らくだ」が路上で生き返り、家に帰っていくと言う鶴瓶の創作が語られましたが、それはそれで面白かったんやないかと思います。
アンコールで幕が開くと、大きな6代目松鶴の写真が飾られていました。そこで、この公演は青木先生、お母さん、そして師匠松鶴鶴瓶を育ててくれた先人への捧げる、いわば追善興行やったのかいなと納得したのでした。
「つるべのらくだ」の公式HPを見ると、土曜と日曜の都合3公演は1勝1敗1分けとご自身が語られていましたが、おそらくこの初日の「らくだ」は1勝だったのではないでしょうか。