外苑東通を横切り、まっすぐ進むと、新宿御苑の森が見えてきました。その手前にある神社が、多武峰神社。
ここは新宿を領地としていた内藤氏所縁の神社です。
幕府は江戸・日本橋から次の高井戸宿まで遠かったために、元禄12年(1699)に新しい宿場を開設しました。その宿場町の一部が高遠藩内藤家の屋敷地でしたので内藤新宿といわれたました。
「新宿」という地名もそこからきています。

この神社には駿馬塚という碑がありました。
その昔、家康が内藤氏に、「馬で一息に駆け抜けた地をお主にやろう」と言われ、駆けに駆け24万坪のこの地を拝領したそうです。西は代々木、東は四ツ谷、北は大久保まであったと言われていますからスゴいですよね。
その馬は駆けた後に絶命した為に、こうして駿馬塚として祭られているのです。ホント内藤さんにとっては感謝感謝の馬ですわなあ・・・


その他にも上記のような碑がありましたよ。
ここは日本にとって鉛筆発祥の地でもあるのです。昔、横を流れていた渋谷川の流れに水車を置き、それを動力として鉛筆製造を行っていました。真崎鉛筆というそうです。碑の近くには可憐な花が咲いていました。

その裏手、新宿御苑に挟まれているあたりは静かなお屋敷街でした。ただ、このあたりもマンションが立ちだし、「これ以上環境をそこねるな!」と怒りの看板がたっておりました。





さて、新宿御苑です。
本日のメインイベントは四谷散策だったのですが・・・ここもキレイでしたねえ。
題名に記した通り、ここにはもう春が到着していました♪
入る前からご覧の通り、満開の桜がお出迎えです。


実はここに来るのは初めてです。今回は大木戸口から入場しました。入場料金は200円です。この「大木戸」というのは、江戸時代に四谷大木戸というものがこの近くにあったからなんです。
大木戸・・・昔は町毎に番屋があり、夜になると木戸が閉められましたが、江戸全体も大木戸があり、夜6時から翌朝6時まで閉められていたのですよ。


これは入口でもらった(というか、置いてあった)園内地図です。
右上にこう書いてあります。

「この新宿御苑は、徳川家康の家臣・内藤氏の江戸屋敷の一部がそのルーツといわれています。明治に入り、農事試験場を経て、明治39年(1906)に皇室の庭園となり、戦後昭和24年(1949)に国民公演として一般に公開されました。」

私は左下の大木戸門から入り、玉藻池からフランス式整形庭園という、なんやら味気ない処を通り抜けグルウと輪を描くように日本庭園に行って、最後に右下の新宿門から出てきたころには、大層疲れた。



DOCOMOタワーを望む芝生の上で休憩する人々を見ていると、少し規模は小さいもののNYのセントラル・パークを彷彿とさせるものがありました。



手前の池にサギが遊び、その向こうにシダレザクラ・・・絵になりますなあ・・・
もう、アトはハナ!ハナ!ハナ!です。どこを攻撃すればいいんでしょうか?(そら真珠湾攻撃のトラ!トラ!トラ!やっちゅうねん)




一番下の森の中で子供達が整列しているところは自然観察フィールド「母と子の森」です。(場所は地図の中央右側寄りですね。)



どうです!! 咲き乱れていますよね!! 





左上の写真は日本庭園にある「旧台湾閣」でも、地図には「旧御凉亭」とありますね。
とまあ、歩き疲れて御苑を後に家路についたのでした。





帰宅後、楽しみにしていた大相撲大阪場所千秋楽の大一番「朝青龍白鵬」を見ました。あっという間の取り組みでしたが朝青龍の気迫を感じましたね。
ただ、毎日のように土俵際に神田川俊郎さんがおられましたな・・・