事務所近くの桜も満開に向けてラストスパート状態です。
今週末はお花見で上野公園や井の頭公園は大変なことになりそうですなあ・・・



三代三木助の十八番「芝浜」のマクラに隅田川シラウオの話が出てきます。
昔、隅田川で船遊びをしていると、船頭がヨツデの小さな網でシラウオを掬ってくれて、客が差し出す杯洗(昔は杯をやったりとったりするのに、この杯洗で洗ったんですなあ・・・風流なもんですがキョウビは骨董屋でしかお見かけしませんが・・・その杯洗)にシラウオを入れてくれたんだそうです。
船頭が「あいよ」とヨツデの網を差し出して「何だい?」なんて訊こうもんなら、船頭はイヤな顔をして採れたシラウオを逃がしてしまうとか・・・
三木助はそのシラウオの話から、こんな都都逸(どどいつ)がございまして、と披露するんですな。



佃生まれの しらうおさえも 花に浮かれる 隅田川



粋な都都逸じゃありませんか!!
この落語は好きで、もちろんi-PODにも入れて時々聴いていますが、桜の季節になりますと、この唄を思い出して口ずさんでおりますよ。


桂三木助といえばもともと上方の名跡で、二代までは上方の噺家です。三代も若い頃には大阪にきており、そこで三木助という名をもらったんでしょう。息子が四代を襲名しましたが、若くして死んでしまいましたね。
その息子が継ぐ前に他の人に襲名の話があったんだそうですよ。
その人とは・・・   誰あろう人間国宝桂米朝師匠です。
著書「私の履歴書」の中にそう書かれていました。米朝という名も、今でこそ大きい名前ですが、本来は「米団治」になり「文団治」になり、その上の大看板は「文治」(今では東京の名)になるという名前・・・
米朝師匠には米団治襲名の話も当然あったのでしょうが、本には三木助襲名の話があったことのみ記載されていました。
しかしながら、興行側の思惑が見え隠れいていて実現に至らなかったとのことですがね。
今度はどなたか上方で三木助を襲名されませんかねえ・・・








これが杯洗ですな♪