五代目米団治襲名披露in新橋演舞場 

今日は新橋演舞場に「五代目米団治襲名披露興行」に行ってきました。
10月4日の南座での初日以来2回目で、おそらく南座とラストの大阪サンケホールブリーゼと並ぶ重要な舞台がこの東京での新橋演舞場でしょう。
京急井の頭線東京メトロ銀座線、都営地下鉄浅草線と乗り換えて、新橋演舞場に到着したのは16時40分頃でした。写真撮影し、入口横で中入りに食べる「助六寿司」を買い求めました。



祇園八坂神社のお練の時に高竿提灯になっていた『米団治襲名」の提灯が掲げられています。画面右下はシャッターが開ききっておらず黒くなっている次第です。)


さあ、入っていこうとして・・・やってしまいました!!
切符があれへん!!
新橋演舞場のチケットケースにはチラシしか入っていません。
こりゃ、万事休すです!!
大慌てで久我山の自宅まで戻り、今度は西荻窪経由で中央線で東京に出て、タクシーで再び演舞場に到着した時には吉弥・小朝・ざこば・春団治と終わって、中入りに入ったところでした・・・

ロビーでは昔は新鋭の落語評論家でならされた山本益博氏の姿をお見かけしました。さあ、気を取り直して場内へ入ります。

いやあ、華やかな劇場ですなあ・・・ 隣接する日産自動車から送られたツルの緞帳も美しおます。
劇場全体がホンノリと明るい感じですよね。三階席まであるので天井も高いですし・・・ 少し振り返って眺めてみると、こんな感じでした。


座った席は三列目の下手から花道を挟んで10番目という、なかなかに好い席でした。だからこそ、前の四人の方が見られなかったのが残念でしたなあ・・・
さあさあ、襲名口上の始まりです。
緞帳が開き、常色幕となりました。

こいつがサアと引かれると、紫地の、坂田藤十郎より送られた後ろ幕をバックにして噺家が紋付袴姿で並んでおられます。
上手から桂ざこば師・春風亭小朝師・桂春団治師、そして5代目桂米団治師、柳家小三治師・桂米朝師・桂南光師とズラリッと並んでの口上です。司会はこれだけのためにやってきたという南光師・・・
みんな好きなこと言いはりましたなあ。

面白かったのは、ざこば師
15歳で米朝宅を訪問し、応接間に通されコチコチになっていながらも、出されたお饅頭を食べるべきかどうか悩んでいた時に、まだ子供やった米団治がやってきて、顔色うかがいながら「これもらおっと♪」と饅頭を掴んで逃げていったという話でしたね。
小三治師は「やなぎ句会」の話でした。楽屋に挨拶に行って、この間の句会の話をしてから口上の為、並んでいると、米朝師から「あの句会はまだやっているんかいな?」と聞かれて驚いたという、少々心配になるお話

春団治師がキレイに口上をしめくくられました。

あとは落語2席です。
小三治師は句会のマクラから軽く「道灌」・・・この間のプロフェッショナルで病気と闘いなら、芸と戦っている姿を拝見したばかりだったので、凝視するように高座を拝見した。
成る程、引き算の芸だなあ、と感服。笑いを押し付けるのではなく、まさに言葉を減らしていき、そこに生まれる間で笑わす話芸でした。

とりは米団治師♪
ネタはなんと「蔵丁稚」
歌舞伎好きの丁稚がお使いの帰りに歌舞伎を見て帰ったバツに蔵に閉じ込められ、中でひとりで仮名手本忠臣蔵四段目「判官切腹の場」を演じるというもの・・・
これまた見事な芸でした。歌舞伎の声色や振りが見事すぎてとても丁稚がやってる風ではありませんでしたが、このカタチを米団治風と考えればOKですよね。(まるで、若旦那が蔵に閉じ込められたようではありますが・・・)

やはり米団治師に歌舞音曲は似合うておりますなあ・・・







桂 吉 弥  「時 う ど ん」


春風亭小 朝 「桃  太  郎」


桂 ざこば  「肝 つ ぶ し」


桂 春団治  「 高   尾 」


中入り

 口   上 


柳家小三治  「 道   灌 」


桂 米団治  「蔵  丁  稚」

 



劇場から出ると、出口のところで小沢昭一さんが元気にしゃべっておられました。手招きされると、加藤武さんが「おれはもういいよ」といいながら出てこられたのです。お二人とも米朝師匠と共に演芸評論家正岡容(いるる)の門下生でしたなあ・・・ 
いい光景を拝ませてもらえました♪





P.S. それにしても「忘れ」で有名な米団治師の襲名披露で、こちらが「忘れ」を演じるとは笑い事でありませんなあ・・・ ほんま気をつけなくては・・・
そうそう、最近読み聞きした小米朝時代の面白い話があります。
ある舞台に役者で出ていた小米朝さん、ある日楽屋で激しい眩暈に襲われます。こりゃ、明日からの舞台は降板するしかないか、と周囲もおろおろ心配していましたが・・・
なんと、小米朝さん、片方の目に両方のコンタクトを重ねていれていたのです!!