サクラ3分咲き♪ 板橋から池袋、目白へ

今日はタキさんと池袋で待ち合わせをして、下板橋に住む友人の景虎さん宅に出向きました。
ちょっとした事情から外出出来ぬ景虎さんとビールを酌み交わし、池袋東武で買ってきたお寿司をつまみ、未だ3分咲きの桜を想像しながらの花見と洒落ました。

景虎さん宅を出てからJR板橋駅まで歩き、(ほんのスグです)そこから「池袋まで歩きましょう」とタキさんに提案したところ、「体調ヨクアリマセン」と彼は帰ってしまったのでした。
まずは板橋駅東口の新選組局長近藤勇墓所へ・・・  
甲府で官軍に破れた新選組は建て直しを図り、千葉の流山に集結していましたが、そこを官軍に見つかり、近藤勇は捕縛される。
そして、宿場町であったここ板橋まで連れてこられて斬首されてしまいました。

新選組の隊員であり明治の世も生き残っていた永倉新八がこの墓所をつくったのです。
中央の墓碑の正面に近藤と副長の土方歳三の名が刻まれ、左右の面には隊士の名前が小さく刻まれていました。
新選組が好きな私にとってはなんとも感慨深いものがありました。日野や京都壬生と訪ねて散策し、博物館での「新選組」展に行って隊員名簿を拝見していましたが、明治9(1876)年という戊辰戦争から10年経ていない時点で元隊士によって建てられた墓碑にある、沖田や井上、山崎の名前は石自体は古びているものの生々しさを感じました。建立した永倉はじめ元幕府御典医松本良順ら幾人かの者はこの墓碑に刻まれた彼等の名前を見て、ありありと彼等の容姿を思い浮かべていたであろうと思われるからです。

ここから池袋目指して南下しました。川越街道を越え、池袋駅前まで出ます。ここまでは余り面白い題材もみつかりませんでした。
池袋西口を南へ、劇場通りという大通りが消防署の前でプツンと小道になるあたりが面白いな。都市計画は最初からこれを良としたのか? それとも挫折したのか・・・

この道を入っていくと少し惹かれる古いお家がありましたが、それが童話作家坪田譲治先生の御宅でした。その角を曲がると、我がフランク・ロイド・ライトが設計した重要文化財自由学園明日館」
それは唐突に現れました。

やはりライト建築好きにはたまりませんね。
自由学園明日館は大正10(1921)年に自由学園創設者の羽仁夫妻が帝国ホテル設計で来日中のライトに設計を依頼して実現したものです。
本日は結婚式が行われていて内部の見学はかないませんでしたが、それでも最高でした。シンメトリーな両サイドへの広がり…まさにプレイリースタイルですよね。
裏手に回るとこんな感じ。

類似形が重なりあう美しさよ!!
また、道を挟んでこれも重要文化財指定の講堂がありました。

こちらはライトに師事していた遠藤新によって昭和2(1927)年に設計建設されました。
この講堂もライト設計と言われれば素直に信じてしまうようなライト風の建物でした。大谷石を使用し、細部に凝った意匠…高く突き出た上層部の水平を強調した屋根の形などこれもプレイリースタイルですな。ライトの明日館だけではなくこの講堂も一緒に残されているのがいいですよね。

さて、自由学園からさらに南へ目白駅を最終目的地として歩きだしました。このあたりの住宅地はいいですね。緑も多く落ち着きがあります。
西武新宿線を横断して少し行くと豪邸風の塀があらわれました。なんだろうと中を覗くと、そこは都立目白庭園でありました。

垂れ桜も美しくたくさんの方が回遊式の庭園でくつろいでおられました。